早いもので母が亡くなり3ヶ月。
父はまだ3ヶ月と感じ、いろんな感情と戦っているようです
母は、お墓を希望していて土地だけは用意していました。父は、いらないと言っていたのですが。
子供達もいらないと。建てても2人が亡くなったら永代供養に変えるよと宣言済み。
父も母が急変してから、お墓は建てると言い出しました まぁ、自分達のお金なので好きなようにしてくれたらいいけれど、墓じまいするのが大変だからと言いたいが…
結局、建てる方向で話が進み…
将来墓じまいする時の費用は、生命保険で賄ってくれたらいいと。お金もやけど、大変なんだけどなぁ〜
母の希望は、洋墓🪦でした。
生前、そこに「まこと」と入れて欲しいと聞いていました。
私の頭の中 まこと→誠
父の頭の中 まこと→誠?
弟の頭の中 まこと→真
結局、誠って人の名前の字やからちゃうやろ。真のまことやろ…
と、父が納得したようなので、「真」で。
お葬式も四十九日も香典は受け取らずでお墓を建てたら、建碑祝いっていうのがあったらしく… 母の兄弟がお祝いをしてくれました。
ネットで調べたら、亡くなってから建てるお墓はお祝いではないとみるんだけれど…
しかも納骨と一緒にするから、お祝いではないと…。 けれど、墓石の人が準備するものを教えてくれたのも、お祝いの準備としてお供えや祝儀袋の案内をもらった…
やっぱり、お祝いなのか?
宗教的には、亡くなったら魂はそのまま極楽浄土へ行くらしい。初七日、四十九日って亡くなった人が迷わず極楽浄土に行けるよう導くための儀式って聞いていたけれど、すでに極楽浄土に行った魂に初七日四十九日をやる意味あるんやろか?お墓を建てたけれど、魂はすでに極楽浄土に行っているので、開眼式はないらしい… 宗教はようわからん
宗教は先祖を大切にし、自分が今生きてる感謝や残った人の気持ちの拠り所などなど、そのための手段だと思っているからなんでもいいんだけれど
母のお墓は、母の両親や兄弟が眠る同じ墓地。
もし「魂」というものが本当にあるならば、自分の身内や友達が同じ墓地にお墓があるから、まぁ母は幸せなんだろうな… あれ?極楽浄土にあるならわからないか
雨予報だったけれど、前日からお天気も良くなり、快晴の中の建碑式と納骨を迎えた。
父は家に置いていた骨壷を持っていく前に、骨壷を持って家の中を巡り、母に我が家を最後に見せてきたらしい
「まこと」の字の正解は、どちらかわからないけれど、私と父はどちらかいうとおとぼけさん。間違っていたら父があの世、極楽浄土に行った時に、母とまた仲良くケンカでもしておくれ
母は幸せだったのだろうか…
坊さんが唱えてくれている間にそんなことを考えていたりして
両親とは、終末期の話や亡くなった後の話を母が半身麻痺になった後も普通にしていた。それでも迷いやわからないことがあった。だから主人には、両親が元気なうちに色々と話をしておいた方がいいと言うが、姑舅さんは「早く死んで欲しいの?」と、言ってくるようだ。そうじゃないんだけれどなぁ 私から姑舅さんに話をした時は、そうね〜って聞いて、また詳しく教えてって言っていたけれど、あの感じだと動く気はないと感じた。
まぁ、任されたら直葬、宗教のお寺で永代供養にしてあげたらいいんだけれどね
私も子供に自分の終末ケアや骨の始末など、ボチボチ伝えていこうかな…