※ネタばれ注意

「ちはやふる」
アニメも漫画もめちゃめちゃ好き。

26のいい年した女が
毎回見るたびに胸が熱くなって
涙腺ゆるむアニメは
ちはやふるくらいだと胸を張って言える。
(よこしまな気持ちが激しく入り乱れながら、っていう条件を追加するとFree!も追加される)

はやく3期やらないかな。。。
円盤の売れ行きで制作の如何がきまるのであれば
…買いましょう。
こんな良作、もっと広めんでどうする!!
と声を大にして言いたい。



さて本題。


ネット上では最終的なカップルはどうなるのかと
議論が繰り広げられていますが
圧倒的に「千早×新」が多い。。。

くそぅ。

確かに千早がかるたを始めるきっかけになったのも
ずっとかるたを通して追いかけてきたのも「新」なんだけど。
「私は一生、かるたが好きで、新が好きなんだ」と千早が自覚してるんだけど。
新からの言葉を「一生、一緒に生きていこっさ」と解釈するほどなんだけど。

・・・なんか腑に落ちない。
二人はあくまで「かるた」でつながっていて、
かるたを通して成長していっていて。
恋愛とは別のなにか特別なものでつながっていて。
そこに恋愛を持ち込むことでこの漫画の良さが「終わる」気がする。

「終わる」っていうのは、なくなるんじゃなくて
最終輪を読み終わったときの「後味」や「余韻」みたいなものが
なんか違うものになってしまうんじゃ無いかって。
思うんだなぁ。


この漫画のキーワードは
「かるた」を大黒柱として
「成長」
「友情」
「恋愛」
「青春」

なんじゃないかと自分は思っているのだけれど、
どっちかっていうと
上の二つが「新×千早」
下の二つが「太一×千早」
な気がする。

千早はかなチャン風に言うとあんぽんたんだから
恋愛の「すき」とかるたの「すき」を一緒にして考えてしまっているだけで
実際恋愛をするとなると途端に「あれ?」ってなるんじゃないかな。


太一は「あて馬」「振られフラグ」と
言われることが多いみたいだけど
ちはやふるの物語の恋愛要素といえば明らかに太一で
彼の成長を描くのであれば「かるた」はもちろんだけど
それよりも「恋愛」が必要なんじゃないかと。
しかもダメな結果になってそれを糧に成長する姿じゃなくて
この恋を成功させることで達成できる成長。
「卑怯じゃない自分」になれたという結果。

もっともらしく書いてるけど、
私がそれを見たいだけ!!!!!w


このタラタラと長い感想がたとえ
「自分の都合のいいように解釈してしまう」という
メス特有の合理化というものであったとしても
今現在のこの溢れる気持ちを抑えられなくて(笑)


とにかく
「太一×千早=恋愛」
「新×千早=かるた(青春)」
「太一×千早×新=友情・成長」

この方程式がいつか紙面で見られますように・・・!!!