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願いの彼方

ロックシンガーソングライターSUTCLIFFの戯言。

僕はまだ、6月15日渋谷La,mamaでのライヴの余韻の中にいる。


美しすぎたステージからの景色を、
消えないように何度も思い返してる。


そろそろ未来へ歩き出さないとね。



あの空間を、あの時間を共有してくれたみんなに。


ありがとう。


またあの景色をみたいと思ったから、
歌い続ける理由ができた。


同じ空で繋がってることを、
証明します。





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三鷹での悲惨な4年間を乗り越え、3カ所目、荻窪。

駅前のパチンコ屋(今はドンキホーテになってた。)でバイトしながらも、
バンドが一番軌道にのってた頃だったな。
ツアー回ったり、CDリリースしたりね。

当時は打ち上げで朝まで呑んで、メンバーをそれぞれ送り届けて、
家近くの駐車場から家までの道のりで朝日が眩しすぎたのをよく覚えてるよ。

そんなある日、いつもながらにみんなを送り届けて、
駐車場までの最後の信号で赤停止。時間を見たら朝の6時過ぎ。

「ピーーーーーーー!!!!!!」
という激しいクラクションで目が覚めて、
驚いて進んで駐車場までいったんだけど、時計を見たら「6時半」。

ってことは、甲州街道の信号待ち、道のど真ん中で30分も居眠りしてたってこと。

恐ろしいね。。

そんな思い出。。



東京に来て15年経つが、振り返るとマンションの「更新」をしたことがないことに気付く。

そう、引っ越し貧乏なのだ。。

21歳、上京を決めて最初に住んだのは、西武池袋線「東長崎」。
理由は、先に上京した友達が江古田に住んでいたから、その隣駅にした。それだけ。

半地下で、当時PHSしかもってなくて、家の中圏外という最悪の状況だったの覚えてる。

上京したことに満足してしまって、ほとんど遊んでた(笑)。



バイト生活でその日暮らしの人間には家賃が高い事に2年経ってやっと気付き、
中央線「三鷹」に引っ越し。
ここでの生活が一番記憶に残っている。悪い意味で。

1階で大家さんがそば屋をやっていて、その上の2階。
5畳一間のワンルーム。
よく家賃の取り立てに大家さんが来てた。
「居留守なのわかってるよ。電気メーター動いてるし」
まさに貧乏売れないミュージシャンの暮らしって感じ。
よく、下のそば屋の葱とかコーラとかこっそり盗んでた。。
そして主食は当時バイトしてた武蔵境のコンビニの期限切れ弁当。

こういう経験があったからこそ、少し強い人間になれてる気がする。

ちなみにバイト先へよく苦情の電話が入っていた。
「金髪の店員、愛想悪すぎます。」と。

それ、俺です。ごめんなさい。
今だったらできるよ、営業スマイル。