By Sachinosuke
小さいころ、我が家族は四畳半・六畳の風呂なしの超ボロアパートに住んでいた。 今思えば、若きシングルマザーだった母は、個性的な人だった。努力家で、頭がよく、若気の至りで私の父と結婚などしなければ、社会的な成功をおさめることができただろう。そして、衣類・食器・家具などは、長く使える良質のものを少しだけ持つ、という美学があった。ジャンクフードや庶民的な娯楽を心から軽蔑し、朝日新聞、漱石、谷崎、ヘッセを愛読した。
こんな風に、私の子ども時代は労働者階級の日常にブルジョアの価値観が入り混じった奇妙なものだった。
私の勤めている大学は年間授業料が520万円もするので、学生の多くは裕福な家庭の子女である。授業中、社会階級の話をしている時に、「学生の間にステータスシンボルってある?」って聞いたところ、「カナダグース」という答えが返ってきた。教えてもらうまでまったく知らなかったのだが、カナダグースという会社の、カナダ雁の羽毛をふんだんに使用した高級ダウンジャケットやコートの類のことだった。言われてみると、男子も女子、キャンパスを闊歩する学生の過半数がカナダ・グースのジャケットを着ていた。
レネ・ジラールという哲学者が提唱した有名な理論にmimetic desire(模倣的欲望)というのがありますね。「あなたは自分自身が何かを欲していると思っているが、そうではなく、ほかの誰かが欲しているものを欲しているのだ」という理屈なんですが。高級ブランドのロゴこそ、模倣的欲望の一番よい例だと思う。同じ材質・品質の品物であっても、高級ブランドのロゴがついているものに高額な付加価値をつけ、人々が喜んでその対価を払う。なぜなら、そのロゴの意味を共有し、あなたを羨望し、あなたを模倣したがる他人が存在するから。別の言い方をすると、見せびらかす相手がいなければ、人はそこまで高い付加価値を払わないであろう、ということである。
見せびらかす、と言えば、あれですね。飛行機の一等席に座ってる客。椅子と椅子の距離が広いとかアルコールが飲み放題という特権自体よりも、それをエコノミークラスの乗客に見せびらかすという二重特権のために、あの高額な対価を支払っているとしか思えん。大型の飛行機だったら、機体の後部にも出入り口があるんだから、三等席の客を後部から乗せれば、ファーストクラスの客に一層のプライバシーを提供することもできるけど、やっぱりそれはしない。広々とした座席でシャンペンを飲む人々を尻目に搭乗するエコノミークラスの乗客は、知らず知らずのうちにファーストクラスの乗客へのサービスを提供する役割を担っている。
トランプ大統領を見ていると、品や洗練はお金では買えないものだということがよくわかる。そして、富裕層の中には「成金」・「ブルジョア」とはまた別に「エリート」と呼ばれる人々もいる。私が思い描く「エリート中のエリート」とは、数年前にこちらで大ベストセラーになったBattle Hymn of the Tiger Mother(邦題『タイガー・マザー』)の著者、エイミー・チュア。彼女はイェール大学法学大学院教授で、自分自身超過酷で多忙なキャリアをもちながらも、子どもの教育を一手に担い、学業・芸術・スポーツ・語学・一般教養のすべてにおいて秀でた娘さん二人を育てた人で、この本はチュアの母親としての敗北宣言(?)をユーモラスに描いた自叙伝。エリートがさらに自分の子どもをエリートにするには、計り知れない努力が必要なようだ。
今現在、私はなんとか人並みの生活を営み、家族四人、ほぼ不自由なく暮らしている。私の子どもたちは貧乏暮らしを経験したことがないし、これからもおそらく経験しないだろう。でも、私は時々この安楽な生活に慣れては罰が当たるような気持ちになる。
子ども時代の、薄汚れた壁の、がらんとしたアパートの本棚に並んでいた新品の漱石全集。なんだかよくわからないけど、これが自分の原点だという気がする。
When I was little, four of us (three kids & mom) lived in a tiny, old, rundown apartment. My mom loved everything “sophisticate” and “upper class,” despite her provincial upbringing, lack of education, and, of course, lack of means to buy nice things. Today I make an OK living but my origin is and will always be that rundown apartment and the brand-new 10-volume set of Natsume Soseki on the bookshelf, a mixture of gloomy prospect and longing for a cultured life.
