とよがみじんじゃ

  豊上神社 (山口県山陽小野田市下村東)

 

    もうすぐ5月5日、豊上神社の祭礼の日です、

    私が自治会長を務めていたとき、豊上神社の祭事を担当して

    子供まつりや、絵馬を新設するなど、変わった思考をして

    3回ほど新聞記事になりました。普段はこんな感じの小さな神社です。

    今回は都合により欠席通知を出しています。

     イメージ 2

 

  ①2004年4月6日(宇部日報)

  ②2004年5月8日(宇部日報)

  ③2005年5月12日(宇部日報)の3回、

  写真付きの新聞記事になりました。

 

           境内に絵馬の奉納台を新設して

         子どもたちに絵馬を書いてもらいました。

 

イメージ 3

 

       豊上神社
山陽小野田市にある小さな神社です。地元の自治会(95世帯)が、毎年1回<5月5日>に

祭りを行っているものです。祭神は「國常立尊」であり、日本書記という古い書物では、

天と地が初めて分かれるときに、一緒に生まれた最初の神様だと紹介されています。

天和2年(1682)2月、厚狭毛利家4代当主、元勝の時代に・・勧請して創建されたものです。

さらに右田毛利家別家(毛利八郎左衛門雅信の2男)から迎えた養子、就久はこの神社を甚く

気に入り、晩年には「豊上大明神」と崇めるほど信心したといわれます。おそらく天和3年

(1683)から、就久が72歳で亡くなった寛保3年(1743)に至るまでの60年間、

この「豊上神社」が最も輝いていた時期であろうと思われます。

当時は下村地区(のち東西に分かれる)の住民がお祭りをしていたそうです。

地元の有力者、山田陽一さんの話では、「田尾さん、実は昭和の戦後まもなく自治会の

いざこざで、東西に別れ、現在のように下村東自治会の住民だけで祭礼を行うように

なったんですよ」と言われました。(私が自治会長になったとき聞かせて頂きました)

毎年、山野井八幡宮より渡邉宮司さんがお見えになって祭りがおこなわれます。


   

                   (写真と日付けは違います)


豊上大明神(豊上神社)
但入壱間半横壱間壱尺七寸

内室造り三ツ斗組、
天和二年二月建立相成候事
祭神壱座  國常立尊
祭日 春秋彼岸中日雨度祭り同断
明治以前は年回、春秋に行事が行われていました。

 

 

  豊上神社祭礼の式次第   (写真の日付けとは関係ありません。)   

 

 

・・・1例として、2004年5月8日の新聞記事をご紹介・・・、

 (記事内容)

祭礼にぎわう

 山陽町豊上神社

 山陽町下村東の豊上神社で5日、祭礼があり、子供からお年寄りまで87人の

地元住民が楽しいひとときを過ごした。地元の下村東自治会(田尾進会長)が

主体となって、毎年こどもの日に行っている伝統的な祭り、近年は子供たちの

参加が少なく、さびれてきていたが、今年から子供祭り実行委員会を立ち上げ、

子供が楽しめる内容に工夫した。小学生以下の子供たちは35人が参加、

自治会外から訪れた人も多かった。祭事の前に行った子供祭りでは、景品があたる

じゃんけんゲームや綿菓子のプレゼントで盛り上がった。25人の子供たちが

「野球が上手になりたい」など夢や願い事を書いた奉納式もあった。田尾会長は

「子供たちの参加が多く盛り上がった。帰宅途中の中学生の飛び入りもあり、

たくさんの人に楽しんでもらえたのでは」と語った。(宇部日報)2004年5月8日 

 

・・・・・・・・・・

ちなみに10年前(2014年5月5日)の祭礼には出席していません。

実は日本丸に乗船していたんです。(笑)

イメージ 3

 

なんと友人に頼まれて日本丸の記念グッズを販売。(笑)

正面で腕章をしているのが私です。(^^♪

イメージ 2

 

友人のお手伝いだと思っていたのに公益財団法人/海技教育
財団の理事長さんにバイト料を頂きました。(笑)

/イメージ 4

 

・・・・・・・・・・・・山陽小野田市民限定)

  危機意識の醸成

    そもそも危機とは?

予想外の出来事、極めて危険な状況、ピンチ、悪い結果をもたらす出来事

 

 厚狭東方断層の被害想定がわかりますか?

 

    厚狭東方断層研究会講師 田尾 進