数年ぶりのブログなのでソフトなマンガ読書録から再開。おざわゆきさんの凍りの掌。

 

凍りの掌

 

満州に学徒出兵したのち、シベリアに抑留されたお父様の話をマンガにしたもの。

 

北朝鮮や中国や韓国との関係が一昔前よりも確実に明確な対立構造とし日本人の目の前に現れるようになっている。

ブログをさぼっているうちに慰安婦ねつ造報道があきらかになり、尖閣諸島が国有化され、中国が南シナ海に人工島を作って軍事基地化し、北朝鮮はミサイルや核爆弾の実験を繰り返している。

 

冷戦が終わってアメリカの中東での作戦もうやむやになり、世界は安定するのかと思いきや、まったくそうなっていないことがわかる。

中国、北朝鮮、ロシアなどの共産主義国は、「共産主義」という「理想」をひろげようとしているのではなく、他国の富を力で奪取せんとする「軍事国家」となっているようだ。

 

さて、その中で、朝日新聞やTBSなどが日本よりも上記の軍事国家のプロパガンダに使われているということが明白になっている。

どうしてそうなったのか?そのような疑問に遠回しな示唆を与えてくれるのがこのような戦後の混乱を扱った書物である。

 

このマンガではシベリアで強制労働させられた日本人がロシアで思想教育をされ、日本に帰ってからそのうちの何人かが共産主義の側に「日本にいながら」取り込まれていった様子が描かれている。

 

新聞は正しい、テレビのコメントはもっともだ、民主主義の選挙で選ばれた政党は正しいことをしてくれる、そういう概念が、この数年ですっかり崩れてしまった今、何を信じればいいのだろうか。

 

ヒットラーが最悪の独裁者だったというのには異論がない。

ユダヤ人を600万人も虐殺させたのだ。


彼を産み出し、彼に妄信したドイツ人がどのような社会的環境にあったのか、ということに注目すべきだ。


第一次世界大戦で敗戦し、過酷な状況に追いやられた。

国民はなんらかのはけ口を必要としていた。

窮鼠猫をかむという状態であった。


だからこそヒットラーの民族浄化政策に同調してしまった。


この映画で、ヒットラーひとりが狂人ではなく、まわりの軍人たちも影響しあいながら間違った方向に進んでしまった状況がよくわかる。


ヒットラーだけでなく登場人物ひとりひとりがよく描かれている。すごい映画だ。


ヒトラー ~最期の12日間~ スペシャル・エディション [DVD]/ブルーノ・ガンツ,アレクサンドラ・マリア・ララ,トーマス・クレッチマン
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ところで、ドイツ潜水艦を描いた「Uボート」という映画でも思ったのだが、ドイツ軍人は非常時においても、とても優雅に食事をしている。

高級そうな食器に、ナイフとフォーク。

「ヒトラー最後の12日間」でも、これでもかというくらい優雅な食事シーンが出てくる。砲撃の音が響く地下基地でも、やっぱり優雅に食事をしている。古代ローマ帝国から引き継がれてきたヨーロッパ文化の一端なのだろうか。

一方で戦火にさらされている国民は食事もままならない状態にあるのだろうけど。

チェルノブイリ診療記/菅谷 昭
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かなり昔に買って積んでおいた本を、こんな事情で取り出すことになるとは思わなかった。


原発事故の影響はいかにひどいものであろうか? という興味で購入した。しかし内容はひとりの医師の自伝的内容であり、チェルノブイリ事故の被害がどれほどのものであったか?というような科学的な分析は少ない。


それで、通読せずにほおっておいたのだが、福島第一原発の事故が現在進行中の今読むと、まるで日本の今を語っているようなところがいくつもあり、複雑な気持ちになった。


例えばこんな文がある。


「本来ならば、あの美しい自然と豊かな台地の恵みとともに生き、ごく当たり前のように自分たちの一生をそこで終える人々にとって、チェルノブイリ事故という人災のために、幼い頃から住みなれた土地を捨て、見も知らぬ新しい土地で生きていかざるを得ないとは、なんとも切なく、身を切られる思いであろう」

(p92より抜粋)


まるで今の福島の状況を語っているようである。


本の中で著者は、日本がいかに平和で贅沢かというようなつぶやきもされている。まさか、10年後に日本で同じことが起きようとは夢にも思わなかったのではなかろうか。


先日、テレビにこの著者が映っていた。なんと現在は松本市長になっておられるとのこと。

福島の人々に、放射能の影響などについての講演会を開いたとのことであった。健康診断をきちんとしていくことで、健康は守られるというような話だったようだ。


本の中ではこれから何年もベラルーシの医療に貢献するというような終わり方だったが、実際は5年で帰国され、行政に転進されていたのだ。


まるで現在の状況に備えるための見えざる力による采配だったように思え、著者が今後、松本市だけでなく、より広い影響力を持って、放射能汚染への日本の対応に貢献していただきたいものだと考えてしまう。




追記


絶版のようだったが、文庫版が発売される予定。


新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示/菅谷 昭
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少子社会日本 の作者山田昌弘氏のより売れた、しかしアマゾンの評価は低かった本。いちおう読んでみた。


「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)/山田 昌弘
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山田氏の執筆部分は、「少子社会日本」とほぼ同じ。新しさは無い。


白河氏の執筆部分はまさに雑誌アエラの記事を読んでいるようだ。

この本の企画はアエラの取材から始まったとのこと。


私はそれを~と名づけた、という名づけたがりに辟易する。

学者ではないから、すべてが「~と思う」な内容であり、「私の友人は~だった」という身内の話も多い。

それがどれほど一般的かはよくわかならい。


しかしそういうマイナスを差し引いて見れば、読み物としてまあ楽しめた。

日本の男性がいかに恋愛べたか、という点をこうたたみこまれるように述べられると、確かにねえ、とおもう一方、恋愛に積極的な男がごろごろしていて、道を歩けば男に声をかけられるような国は心休まらなくていやだなあ、という気もする。


男が草食だから日本は平和! それじゃだめなのか?


つきつめれば山田氏も、結婚を勧めているのは少子化対策ゆえである。

これほど結婚生活が難しいという話を延々とされると、結婚しなくても子どもが育てられる社会にするのが一番いいのではないか、というアイデアが浮かんでくる。


ヨーロッパでは未婚での子どもが多いと聞くし、日本もいっそそういう方向に政策の舵をとってはどうだろうか?


フランス家族事情―男と女と子どもの風景 (岩波新書)/浅野 素女
¥735
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かなり前に新聞で書評を読み、最近手に入れた。


ホラーあるいはサスペンスである。帯にスティーブンキング絶賛とある。


隣の家に引き取られてきた両親を交通事故で亡くした少女が、その家の家族に虐待され、それを傍観するしかない少年の恐怖を書いたもの。


隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)/ジャック ケッチャム
¥720
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人の痛みを「見る」痛みというのがテーマだ。

そして見ていながら何も出来ない、何もしない罪悪感、葛藤、恐怖。


この恐怖は、現代日本にも容易に起こりえる恐怖であることに気づく。


この本の少女が受けた虐待の描写は確かに恐ろしいものではあるけれども、最近日本で起きた幼児虐待や、少年犯罪の内容と大差ない。あるいは、期間が長く、幼い子どもが対象であるぶんだけ、現実の虐待事件のほうがより陰惨である。



この本に書かれたこの事件の起きた背景描写はどうだろうか。


アメリカの小さな町である。住民はみな顔みしりで、ドアに鍵をかけない。

どろぼうはいない。皆安心しきっている。

しかし家庭内には問題がある。

離婚寸前の夫婦。

夫に逃げられ困窮しながら子どもをひとりで育てるはめになった女。

親に暴力を振るわれている少年。

子どもたちは親の圧力下にあり、そのはけ口を、女の子を木に縛り付けるような陰湿な遊びに求めている。

親が暴力をふるっても、それはしつけのためだと許される、カトリック的厳格に対する寛容がある。

つまり抑圧と暴力は日常である。



幸せそうで幸せではない、

平和そうで平和ではない、

開放的なようで閉鎖的である




非常に現代日本的であると感じられる。


大昔の共同体的な社会から、現代の家族が独立してプライバシーを確保した社会に変遷したことにより生じた「隣で何かが起きているかもしれない。でも自分にはどうにもできない」という恐怖は、決して色あせていない。



ところで、米国アマゾンからこの原書をキンドルで取り寄せられないか見たが、地域的にだめと書いてあった。

どういう規制なんだろう?







ロイターのニュースサイトで「なぜ、20代高学歴女子は「専業主婦」狙いなのか 」という白河桃子の記事を読み、興味を持って調べると、むしろ共著のあるこちらの作者の本が評価が高かったので読んでみた。


少子社会日本―もうひとつの格差のゆくえ (岩波新書)/山田 昌弘
¥798
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2007年発行の本だが、その後の3年で作者が指摘している少子化の原因と結果がより鮮明になっていることに驚く。

2007年と言えばリーマンショック(2008年9月)の前年である。


これまでの少子化対策が


「少子化の原因は女性の社会進出である。だから女性が働き続けられる社会にすることが少子化対策である」


といったものだったのに対し、


「少子化の原因はニューエコノミーによる若年男性の収入減と将来見込みの無さである。若者の経済基盤を強化することが少子化対策である」


と論じている。現状と照らし合わせてどうか?


本筋の議論ではないが、

経済的に不安定な層に「できちゃった婚」が多いことは、虐待の温床になりかねない。

と指摘しているところからして、最近の虐待のニュースの増加と合致しており、背筋が寒くなる。


作者は日本の少子化対策がまとはずれで散漫で散発的であり、見通しが暗いと見ている。


現状の若者の経済状況、就職状況の悪化に対し、政府が全く無力であるところからも、当たっているのではないか。


「子ども手当て」は唯一の光明に思えるが、月額13000円の「収入増」では、たかがしれている。

若者が定職を得られ、将来の収入増を見込める社会になっているか? と問えば、まったくなっていない。


しかし、職業を政府が保障する社会と言えば、社会主義である。

この記事を書く前に、自分のブログにひとつの回答 をみつけてしまった。

すなわち社会体制を変えるほどの変革をしなければ、現状の少子化は止まらないということではないのか?



メモ


この本を読みながら、自分の子どもたちが将来結婚し子どもを作ることができるのか? ということについて大きな危機感を抱いた。

なるべく質素に育てよう。

質素に子どもを育て、質素に生きることに幸せを見出せるような人間に育てよう。


それしかない気がする。

朝の経済ニュースで解説者が紹介した本。興味を持ち、すぐ購入した。




イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business .../クレイトン・クリステンセン
¥2,100
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優良企業が破壊的技術に打ち負かされて失敗する理由について研究、詳細に解説されている。


優良企業は


顧客の意見を聞く

製品を改善する(良い顧客の要望にこたえて)

利益率の高い、付加価値のある製品を作ろうと努力する

もうからない事業は切り捨てる(利益率が低い、低機能製品)



そこで起きる転換点は


 顧客の要望に対し、供給できる品質(価格を伴う)が高くなりすぎる(オーバースペック)ことである


そこで起きる危機は


 利益率が低くてもかまわないという新興企業が新しい顧客に新しい機能の製品を供給しはじめ、それが優良企業のマーケットをも席巻しはじめること



例として、ハードディスクドライブ、油圧式ショベルカー、インシュリンなどが挙げられた。



対策として


 新しい技術が自分の既存顧客ではないマーケットに普及する可能性があるときには、その組織を本体から分断し、利益率や既存の成功法則から切り離すこと。でなければ大企業が新興企業に勝つことはできない。

 



メモ



先進国のマネージャーはこういう本で武装して次々に経営方針を打ち出しているのだなと感心。


日本で今だに社内公用語を英語にしようとか

選択と集中とか


なんだか使い古されたボロ雑巾のような経営方針で運営しているのが、あわれに思える。


他にもこのくらいインパクトのある経営書があれば読んでみたいものだ。


別に経営者じゃないけどさ……

その1はこちら から


第15回 デフレ対策としての金融政策 について書く


80年代までのインフレに対し、バブル崩壊後、90年代なかばからはデフレとなった。


なぜデフレが起きるのか。


商品の値段が下がると、企業の売り上げが下がる。しかし労働者の賃金は下がらないので、利益が下がる。

利益が下がると、投資が減少する。また、雇用が減少する。

結果として、総需要が減少し、消費が減少し、いっそうの物価下落と失業率の上昇になる。


ここで、「労働者の賃金は下がらない」ことを、名目賃金の下方硬直性と言い、デフレのドライビングフォースになっている。




デフレは借金の負担を重くする。

(商品が安いので、たくさん売らないと借金を返せないから、企業は設備投資をおさえて借金を減らそうとする)

よって、銀行貸出は減少し、さらにデフレとなる。


デフレ対策として、インフレターゲット政策というものがあるが、日本とアメリカは採用していない。


参考Wiki インフレターゲット




メモ


ものが安くなってなぜ悪い。そもそもグローバリゼーションの時代に日本国内のものの値段に意味があろうか? 日本一国の金融政策でデフレは克服できないだろう。だから金融サミットも発足したのだろうし。

など、考え出したらきりがないが、デフレ効果による決定的な問題は、失業率の上昇ではないだろうか。


なぜ失業率の上昇がダメなのか?

日本では失業者が飢えて死ぬわけではない。しかし社会保障(失業保険、生活保護)の額は最低限(のはず)である。彼らの消費は最低限である。よってデフレをさらに進め、失業率はさらに上がる。


結果として、貧富の差が大きい社会になるということである。



この、放っておいたら、貧富の差が広がるというのは、歴史的に見て何度も繰り返されている人間社会の常である。


それが極まって、革命や戦争が起きて、振り出しに戻してきた。


次に振り出しに戻すのは、いつ、どのような事件なのだろう?


そう考えると、今の社会を正常に維持することの重要性に気づかされる。

息子の進学についてのヒントを求めて読んだ本である。


高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay (ペーパーバックス)/中野 雅至
¥1,000
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途中で出版社が光文社だと気づき、予想はしていたのだが、はっきり言って「くず」な本であった。

(光文社の新書を何度壁に投げたことか)


内容は霞ヶ関のキャリア官僚だった作者が、在職中まわりにいた東大法学部のキャリアたちがいかに報われていなかったかをレポートし、高学歴を持ってもリターンが無い日本の現状を憂えるというもの。


作者は同志社大卒のキャリア官僚としては変り種で、現在は大学の教員をしているとのこと。


この本の論理展開は以下のようなものだ


1キャリア官僚の報われていない現状

*給料が安い

*雑用が多く、労働時間が異常に長い

*それでも彼らはキャリア官僚の肩書きに甘んじ、家が金持ちだから文句を言わない

*一番悲惨なのは一般家庭からがんばって東大に入り、キャリア官僚になった人々


2その背景は

*学歴より金の世の中になってきた

*学歴だけでは給料に差がつかない社会


3その問題点

*学歴に魅力がなくなり、子供が勉強しなくなる


4解決策

*学歴に敬意をはらう社会にせよ



12の部分は「へー、そうなんだ」と面白く読めたのだが、34については、とても大学教員とは思えない論理展開であった。




キャリア官僚が報われていないのは、現状の彼らの仕事が東大法学部という学歴に見合った内容に特化されていない点を考えると当然であり、作者自身、官僚の仕事で一番うまくなったのはコピーとホチキス止めと述べるとおり、キャリア官僚であるという肩書きに甘んじて自らの仕事をプロ化できていないからである。


さらに作者も述べるとおり、東大法学部卒の人々のアドバンテージは、まじめで長時間働ける(そういう受験勉強をしてきたから)ということだけ。


彼らは官公庁に入ってすぐにプロフェッショナルな仕事ができるような教育を受けてきていない。だから雑用をし、長時間働きながらOJTでプロフェッショナルになっていき、長時間かかってなんとかある程度の役職にのぼりつめなければ給料も上がらないのだ。


そのような状況は一般企業においても同様だろう。


米国では学歴に敬意が払われ、高い給料を与えているというが、それは博士号を取ったような人を、まさにその専門性に対して雇用し対価を払うからであって、


*日本の大学はプロフェッショナルを作っていない

*日本の官公庁や企業はプロフェッショナルに特化した雇用を行っていない


この二つを変えない限り、高学歴=ハイリターン とならないのは当然である。




メモ


そもそも東大法学部に入れるような息子は持っていないが、私が息子に望むのはこんな一生である。


大学では自分の学びたいことを一生懸命学び、好きな仕事のできる会社に就職し、プロフェッショナルな仕事を身に着け、会社にしばられない(いつでも転職できる)労働で、普通に暮らせる給料を得続けること。


これって、難しいのだろうか……

その食事では悪くなる―食事崩壊と脳への影響/大沢 博
¥1,365
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この表紙を見ると、現代の食品はあまねく危険だと述べるような、自然食品奨励本に見えるのだが、読んでみると違った。


読んでみてよかった。


「低血糖症」というあまり知られていない栄養障害を核にした本である。

低血糖症とは、清涼飲料水やお菓子などを大量に取った結果、インシュリンが出すぎて、血糖値の制御がきかなくなり、食事後3~6時間で低血糖になり、無気力、暴力的、などの精神の異常をきたするものである。


筆者は少年院に入った子供の食生活が、清涼飲料水やお菓子に過度に依存していることに着目。

通常、糖負荷試験という、糖尿病の検査では3時間程度で終わる血糖値の測定を、さらに数時間伸ばすことで、この低血糖症を見つけ、衝動的犯罪の多くがこのような栄養障害が原因となっているのではないかと指摘している。


海外ではこの症状が、アルツハイマー病の原因になっている可能性も示唆されているとのこと。

すなわち、脳はブドウ糖しか消費できないため、低血糖状態では脳が萎縮するからである。


低血糖症は精神に影響する事から、臨床心理において栄養についても考慮すべきだというのも筆者の主張である。

現在のカウンセリングの現場では栄養がなおざりにされ、お菓子とジュースを大量摂取している明らかに食事内容に問題のある患者に、それはほおっておいてさらに薬を何種類も飲ませ、血糖が低いからとお菓子を食べろという医者までいるという。


(こわい)


メモ


学校や保健所で、しきりと砂糖のとりすぎに注意しましょうと教育している。

しかし説明が不十分である。肥満や虫歯の予防というのでは、食事を抜いてお菓子とジュースを摂って、そのあと歯をみがけばいいではないかとなってしまう。

この本はそのような疑問をすっきり解消してくれた。



また、現在小学校では、朝食をちゃんと食べましょうという運動をしている。

この出所は、朝食を食べている群と、食べていない群の学力を比べて朝食を食べている群のほうが高かったというようなことらしい。


一方、朝食はぬいたほうが体にいいという健康法もある。半日の絶食をすることですい臓が休められるからだという。朝食を抜くと午前中、頭が働かないという話があるが、そんなことはない。体に蓄えられた脂肪からブドウ糖が作られ、むしろ頭がすっきりするのだという。


どちらが正しいのか?


別に子供に朝食抜きを強いるわけではないが、やはり「朝食を食べましょう」運動の科学的説明が不十分だと思う。

すなわち、朝食を食べない子供は、食事全体が乱れており、低血糖症のひとつの症状である、朝起きられないという症状で朝食抜きになるのではないだろうか。つまり、朝食を食べる事が重要なのではなく、食生活全般をきちんとすることが重要なのである。ここらへんをきちんと説明しないと、昼間はお菓子とジュース取り放題、朝食は食べなければならないから、とりあえずパンをかじっておけば大丈夫、といった食事になってしまいそうな気がする。