64 | 想想記

想想記

思い付き


前回は、「水稲耕作」の伝播について…まで書いたかな?
その伝播の方向が、逆じゃないのか?…って、その伝わってきた先の地域には、遺伝子レベルで日本人に似てる人達が住んでいるよ…ってところまで書いたような気がする。(°_°)多分…

考えみると、
水稲耕作は、低地での稲作の技術だから、大陸の奥地の山岳地帯から伝わってくるはずがないと思うのだけどな( ˘ω˘ )まぁ…何故かそうゆう事になっている。

水稲耕作の事については、この位にして、じゃあこの辺りには、どのような「民族」がいるのか、という事を続きとして書こう。

アッサム地方の近隣には、ミャンマー、そして、チベットに通じる四川省・雲南省がある。
この辺りには、所謂【少数民族】が多く暮らしている。
チャイナ共産党が定義している【少数民族】は、55民族だが、細かく分けると、もっと存在するだろう。

全部は、流石に知らないので、この辺りの代表的な民族だけでいうと、ナシ族・イ族・リス族・ペー族・ミャオ族……辺りだろうか(・・;)
その中で、地域を代表するのは、ナシ族とイ族だろう。
この2つの民族は、BC600年頃に黄河流域で暮らしていた【羌(キョウ)】から発した《羌(チャン )族》の末裔と言われている。
【氐(テイ)】も同じ遊牧民なのだが、こちらは、そのままチベット地方を支配して《チベット族》又は “チベット人”になっていったのではないかと思う。

因みに、BC300年頃【匈奴】と【羌】の間に、《月氏》が出現する。
月氏の風貌は、以前にも書いた気がするけど、位置的にみて、スキタイか《塞(サカ)族》の分派ではないかと思う。
【羌】は【エビス】とも読む。
因みに因みに【氐】前秦を建国してる。
つまり、前秦は、チベット人の国( ◠‿◠ )

戻って、ナシ族とイ族の説明しないとな(๑˃̵ᴗ˂̵)

ナシ族については、著;ピーター・グゥラート{「忘れられた王国」落日の麗江(ルキアン)雲南滞在記}に書かれている。20世紀初頭の記録なので、現在とは、異なるかもしれないが、詳しく知りたいなら、こちらを読んでほしい。
ここでは、簡単にしか書けない。

何故「忘れられた王国」なんて題名なのかというと、かつて13世紀頃に、この麗江の周辺一帯にナキ族の木(ムー)氏が建国した『木里(ムーリ)王国』が存在していたからだ。専門書には記載されているのかもしれないが、一般の歴史書には、一切の記載は無い。
ナキ族とは、ナシ族の事で、つまり、ナシ族が建国した国というわけだが、チャイナ共産党は、「ナキ族」という名称を認めていないので、現在は「ナシ族」と呼ばれている。
ナキ族の建国した『木里王国』又の名を『木(ムー)王国』は、幻の国という事だ。

この本には、ナシ族を「納西(ナキ)族」と書いてあるので、そう書く。
ナキ族自身の言い伝えだと、インド・ネパールの境辺りから南下してきたとのこと。
漢字ではなく[東巴(トンパ)文字]という象形文字を使用している。が、現在は、消えつつある。

ナキ族の身体的特徴も詳しく書いてあり、

•体格は、ガッシリとしているが、チベット族ほどでもない。
•肌の色は、少し濃いが、白人並に白い人もいる。
•顔の輪郭は、基本的にヨーロッパ系
•鼻筋は、長くて鼻梁(ビリョウ)は、目立って高い。鼻梁って目の間の付近ね。
鼻眼鏡を掛けようと思えば可能だ。
•瞳の色は、薄茶色で、たまに緑がかっている人もいる。
•目は、大きく潤んでいる。
以前、『運慶展』に行って、仁王像を見てきた時に、まるでナキ族みたいだなಠ_ಠなんて思った。目が潤んでるし。
あの運慶が制作した像のポーズに似た土偶らしきものが、アフガン辺りから出土してたりする。
•髪は、赤味でツヤがあり、栗色でカールしている。
著者によると、スペインや南イタリアの農民に似てるとのこと。
•漢族との繋がりは、全く無い。
とのことだが、現在は、分からない。

本には、写真が載っている。

文字にするとアジア系っぽくないけど、少し日本人に似てる。

ナキ族に次いで、イ族についても詳しく書かれていて、特にイ族については、近代化する以前の特徴が書かれている。

イ族は、自称「黒骨(ヘイクト)」又は、「ヘイイー」と言う。
因みに、日本書紀に登場するエミシの一大軍事拠点の村の名前が「ヘイイー村」と言う。
エミシの村は、生活の場と言うよりも、軍事訓練などをしているから、軍事拠点とよんだ方がいいのではと思う。

イ族には、黒イ族と白イ族がいて、黒イ族が、本来のイ族で、白イ族は、他の民族から連れてきた人達で構成されている。
一般書には、奴隷と説明されているが、実際に観ている著者によれば、比較的に自由に行動できている。
主な仕事は、家事くらいとのこと。

イ族も身体的特徴が書かれている。
この辺りは、白人っぽいよなぁなんて思った(*´ー`*)

•顔立ちは、貴族的。
(写真見ると分かるんだけどな)
彫りが深い、ローマ人といってもよい…と
•背が高い。
•肌は、ココア色。
•目は、大きく潤んでいる。
•鋭い眼光
(これも写真見ると分かるんだけどね)
•鼻筋は、通り高くわし鼻。
•黒髪で軽く波打っていて柔らか。
これは、ナキ族と同じだ。
•黒色のターバンを被り頂上にある穴から髪を出してブラブラと垂らしている。
髪は、神聖で他の人が触れれば、『死』を意味する。
要するに殺される。
近代ではあったが、まだ剣を吊るしていたからね。
中華民国が成立するまで独立を保っていたのがイ族で、
かの諸葛孔明とも戦っていて、奴らは本当に人間か(°_°)⁈と疑う程の強さだったんで、蔑称として「夷狄」と言ったんだな。

実際には、礼儀には非常に厳しい。
作法の知らない者は、命の危険さえあるとのこと。
男女は、意外にも平等で、年長の女は、敬意をもって下に置かない。
客人の妻は、夫よりも上席を占める。
…「夷狄」の実際は、こんな感じだったようだ。
•服装は、黒の上着に螺鈿細工で飾ったベルトを締める。
ズボンは、ダブダブで、股下部分が、ほとんど足首まで垂れ下がっていて、足首のところで紐で結ぶ。
この辺りは、弥生時代〜飛鳥・奈良の日本の服装に似ている。
色は、原色の赤・青・緑・黄・紫
琥珀のイヤリングの耳飾

そして、くるぶしまで届く黒いマントを羽織る。
わし鼻だし、少し八咫烏を思い浮かべる記述だ。

女性はロンスカートにマント

町や村に住むこともなく王もいない。
•住居は、丘の上に木の柵を作り石と土塁で頑丈に固める。
堅牢な門がある。
平屋で、室内は、質素でゴミ一つ落ちてない。土の床に炉が有り湯を沸かしている。
…て、なんか日本家屋に通じるものがある。
ベットは無く、炉の周りの床に直接寝る。

著者いわく「全くスパルタ人のような生活をしている」…とのこと。
今では、ほとんど見られない。
•農作業はしない。
…ね、山岳民族は、ほとんど農作業しないんだから、まして水稲耕作なんて考えつくわけがない。
•男女ともに戦士である。
これは、騎馬民族の特徴でもある。
タイ族の水田稲作民との交流も確認されているが、 イ族の祖先は、不明な部分が多い。
•黒イ族は、伝統的に日本のチョンマゲに似た『天菩薩』と称される髷を結っている。
•父系氏族
•食は、チベット族に近く、ソバなどを食べる。

イ族のくだりを読んでいると、織田信長を思い浮かべてしまう。
肖像画も、立派な「わし鼻」だし。


他にも、麗江の近辺には、リス族などもいて、リス族の[リ]は[高貴な]、[ス]は[人]又は[一族]という意味で、「アーリア人」と同じ意味だったりする。

リス族は、男女が愛を語らう時に、口弦か口琴を用いた楽器使う。
この種の楽器は、イ族系だけでなく、アイヌや台湾の先住民の「高山族」にもみられる…とのこと。
別の専門書の記載だけどね。
やっぱ、アイヌは、北上していった種族じゃないのかな〜。着物だって、アレ南方の着物だし、北方の民族衣装とえらい違いだし。

水稲耕作以外では、人種的にも文化的にも、似ている部分が多いのかな。と思う。

仮説としては、沿岸部から水稲耕作を山岳地帯まで伝播していって、そのかわりに山岳文化が、日本まで伝播してきたのではと考えられるが、人の交流があったのかどうか…文化が似てるのはともかく、人種的にも似ているとなると、、、そう考えるしかないのかな(._.)…

どの辺りの話をしてるのか、
一応、地図を描いたので、

後で、民族の分布も描き加えるかもしれない(p_-)ねむ。