成人式には振り袖を買って着せてくれた。
お母さんは家族の為に毎日頑張ってくれている。
そういうのが子育てだと思っていたので、本当に困っている家庭の人に比べたら、ウチはマシだと思ってきた。
ウチはマシな方!
むしろ感謝しなきゃ!
と言い聞かせていた。
でも、よくよく振り返ると環境的にはやっぱりちょっとおかしかったというか、まあまあクレイジー環境。
物資面では最低限困らない暮らしだったが、精神面(心)では安心できなくて不安定な暮らしだった。
小学生に上がった頃には、両親共働きで朝から晩までいないこともざらで、私の近況を聞いてもらうとかあまりなかった。
聞かされるのは母の愚痴。
(父親、親戚、仕事の愚痴。)
両親が家にいない時は、兄の天下で兄中心。
兄と2人きりの時はいつ怒られるか、怒鳴られるかと緊張していて怖かった。
兄は高校生の時に友達と夜に橋の下で飲酒していたのが見つかり、補導された。
(頭を丸刈りされ、2週間の謹慎。)
夜中に警察から電話があり、母は警察にすっ飛んでいった。
兄は真面目で大人しく優秀という評判で通っていたので、母はたいそう憤慨していた。
父は勤め先で昼休みになるとパチンコへ繰り出すわ、給料を前借りするわ、浮気するわ、借金するわ、母の高い服を勝手に持ち出して質屋に入れるわ、無免許でスクーターに乗って捕まった💧
強烈だったのは、指をつめろ事件だ。
父はヤクザの愛人と知らず、そのお姉さんに手を出して、指をつめろとヤーさんに脅された。
家に父から電話がかかってきて、母はその場へ飛んで行き、ヤーさんに謝り倒して許してもらった。
借金取りから電話がかかってきたり、訪問されるようになった。
ある時から毎日何度も無言電話がかかってくるようになった。
(たぶん、浮気相手の女性だったのだと思う。)
父が作った借金を代わりに払い続ける母。
結果、誰にも相談できない母は宗教にハマってしまった。
仕事に宗教活動に忙しそうだった。
母は信仰していた神様のおかげで稼げてる❗稼がせてもらってる❗と有難がっていたが、あれは単にバブル経済真っ只中だっただけだ。
そして、そのとにかく稼げた時期、母の親戚がよくお金を借りに来た。
2歳で里子に出されて、小学校入学時に実家に戻された経験上、母は「自分は姉弟の中でいらない子」なのだと思い込んでしまい、姉弟にも気を使っていた。
結局、貸したお金はほとんど返ってくることはなかった。
母は「返して。」と一言も言わなかった。
とうとう、母はパンクして精神病棟に2回入退院を繰り返し、今は精神障害者と認定されて障害者手帳を持つ身となった。
親戚は誰も見舞いに来ず、退院後も一気によそよそしくなり、金の切れ目が縁の切れ目ってこういうことなんだなーと思った。
高校卒業後、関東に就職していた兄が転勤で実家に戻ってきたが、部署の仕事に馴染めず退職して、別の仕事についたがそれも上手くいかなかったようで、それから7年間引きこもりになった。
そんなこんなで両親は離婚したが、正確には母方の親戚と兄とで離婚させたのだ。
離婚後、父は地元に帰り、それ以来会ったことも話をすることもなかった。
私が24歳から4年間働いていたクレジット会社で父が自己破産しているのを知った。
子供の頃から色んなことがありすぎた。
母が不憫で可哀相でたまらなかった。
だから、子供の頃から家の手伝いを頑張った。
自慢できる娘でいられるように成績上位になるように勉強した。
私だけでもお母さんに迷惑をかけないようにしなきゃと色んなことを我慢した。
お母さんの役に立たなきゃ。
お母さんは大変だから。
お母さんを助けなきゃ。
親の心子知らずと言うけれど、私から言わせれば「子の心親知らず」だった。
ずーっと
子の心
親知らず
(関係ないけど、アタクシ親知らず4本全部生えた人。3本抜いて後1本残ってる♥)
おかげさまで、私はガッツリ自尊心が低いまま育ち、一家の大黒柱を7年やり続け、結果30代でパンクしてうつ病になった。
その後も自分の性格に問題がある、器が小さいと責め続けてきた。
育った環境のせいとか親のせいとか考えたこともなかった。
何かトラブルが起きたら、いつも、いつでも悪いのは自分❗
そうやって生きてきた。
そりゃそうですよ?家庭でコミュニケーションなんて取ってきてないもの。
心とか気持ちのこととか、話すこともしなければ、聴いてもらうこともしてきてねーもん。
人間関係上手く築けるわけないっつーの。
これだけ振り返って冷静に見てみたら、父も母も頭が悪い人だったのは間違いなく事実だ。
それでも、父のことも母のことも心底嫌いにはなれなかった。
ほんの少しの楽しかった優しかった思い出があったから、その思い出のせいで苦しかった。
クレイジーな環境だったのに、それでも私は父も母も嫌いと言い切れなかった。