こんにぃ~
唄 しゅぺるたー
(時は忍び足で心を横切るの)
はいっ 知らない間に横切って 花が咲いてきちゃいましたねぇ オクラさん
先にちいこいのが出来て 後から咲くんですなぁ ・・・知らなんだ
(もう話す言葉も浮かばない)
って~事で 今日の収穫
黒枝豆だけっすなぁ
(あっけないキスの後 ヘッドライト点して)
まぁ あっけないっちゃーあっけないっすなぁ これだけっすからねぇ
(蝶のように跳ねる波を見た)
波みたいな汗は出るんすよ これだけでもぉ
(好きと言わない あなたの事を)
(息を殺しながら 考えてた)
って~事で 今日の作業っす
気になる位 考えてましたよぉ
上の畑の雑草達 メインの作業 サボりがちでしたからねぇ
(愛ってよく分からないけど)
(傷つく感じが素敵)
いやいや 傷ついちゃぁ ダメっしょ ・・・Mですか
(笑っちゃう涙の止め方も知らない)
こっちは この暑い中作業して 流れ出る汗の止め方が 分かりませぬなぁ
(20年の生きてきたのにね)
悪かったねぇ 43年生きとりますわっ
明日も メインでいきまっしょい
ではっ
名前は Yang Hui Ling で、背が低い目の切れた顔立ちの女の子。
私と彼女は、Baddies だったのだと思う。実際には全ての人がbaddies という時期を持つように言われていたのかもしれない。だから本当はこのことについては無理に心に留めなくてもよかったのかもしれない。




Linはその文章の書き方や、距離を乗り越えない、力説でない、行動が巧妙でない、率先的でない姿から、純粋な人なのだろうか と思って過ごしてきた。しかし彼女には苦しいときに救ってもらえなかった。事実私を信じてくれた人は誰しいなかった。
彼女とのもつれがなんだったのか
、ただそれが形に表れ、自分がどうやらおろかで彼女はそうではない、と言う点だけを言われたのだった。二年前の私は文章を書くこともまばらなった。ベッドに寝そべながら母にどうやって模写する文章を書くのか聞いて、Linについて書いたことを覚えている。そのとき唯一私が書けたのは彼女だっただろう。そのときの私の中での彼女は、確かになにか特別だった。kevin の存在がそうさせたのかもしれない。
彼女の冷たさを疑ったのは最近になってから、文章に気を使うようになってから、TOM TAT という字に気を使ったからだった。
彼女は私の友達だったのだろうか?
LINHと一緒に写った写真で、立っていたけれど、 彼女は何かに対して、 I miss you と、s が無いのだと、you ではないのだと、言った。彼女の意味しているのは、何か聞くべきだったのかもしれない、そんな時、彼女との付き合いは本当は建前くらいにしかなかったのだろうか?それとも、 何か違うものも断続的に部分的に私は信じてきたのだろうかと、そんなことが気になり出した。コレは主張だったのか?指摘や訂正だったのか?それさえも分らない。でも、とにかく、life here is so good i dont want to tell you という言葉の返事であれば、それはもうここにいないし、もう戻らないのだろう、と思ったのかもしれない。
゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o
そもそも、そんなことは、歴史の分析を駆け出しの私が、すぐに分るようなものだったのだから、分る可能性もそれなりにあったわけだし、そうすると違う文化圏を入れたくないためにサバを両立しなかったわけも理にかなうけど。
('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
例えば、you are selfish と私はよく言われていた。彼女の言いたかったのは、つまりなんだったのか? selfish な私は、こうして誰かの話を垣間見ることでselfish で少なくなっているようだ。でも実際には、selfish と言った私にそれが分ったのか?その本当の意味が伝わっていなければadvise でもなんでもなくただの束縛でしかないのに。 束縛されないためには示すことが必要だったのだろうか。
もしも彼女は自分自身に言っていたとしたら? そうしたら彼女はその日から、その日からすべてを自分が助かるために、していたのだろうか? だからそんな明らかに私は理解するための方法を知らないのに、私が自分自身の信念もまばらないのに、私の欠点は 彼女が克服するときにしか教えてくれなかったのだろうか? 私は、本当はそレらが欠点であることも知らずに? 私の何が、欠点だったのだろうか? 彼女は親たちが彼女を too nice と言ったと話した。そのときのpity me の日差しと異様な時間の間、 私はこのときに、本当に彼女が too nice なのだろうと、信じたのだった。親たちが比べていたのは何だったのだろうか、そんなことはまったく考えずに。
何度か、プールに誘われたことがあった。LinやKevinを疑うと、その行為が自分らの体をめでる行為に思えた。そもそも、キスをしないなんて、私が始めたことでないのに。医者になりたいとkevinは言ったのに。
ASに入ってから、明は嫌気に私に12年生の人と比べた時の彼の12年生の頃のすごさを切実に事実を述べるように言うようになった。私がそれを聞きたいと思うなら、私に我慢しろといっているようなものだし、そのときの私には、反抗心がどうもあって、それが自分に態度のでかさを疑っているように聞こえた。彼がそういう態度で話してきたのだった。
Linは、I you me と言っていた、そのときの、me という言葉は行く通りにも聞こえる、コレが面白さだったのだろう、と今の私は納得している。
ダニエル、はというと、 私の中でのダニエルは、当たり所がとにかく良い。必要なときに何かを示してくる、回りがそれに反応する。 私を擁護する彼に頼りがいを感じる。
昨日ダニエルが夢に出てきた。 Hi I wan lat と言っていた。彼は条件つきのブレインストームやそれと他のことと合体することに秀でていた。本当はそれしか見なかったのだろうけど、そのとき、彼の動き、体の比率、私の鼓動よりも少し早い口調、恥ずかしいときに主張したり、恥ずかしいことを言ってきたり、困っているときに潔い姿を見せてくれたり、そんな光景を思い出した。
とにかく、学校の指示を分っていなかったのは私くらいで、私が何かをする前にも何かの前提があったのだと思えば、成り行きは色々ごちゃ混ぜになる。
それでも、私がこうして夜寝られずに昔のことを反省しようとして思い出そうとするのは、そういった自分の身に起きた歴史があるからなんだ。
そういう意味では、冷たく思えた I というLinの表現も、考え方次第なのだった。
彼女の冷たさは、私が彼女を理解しないところにあったのかもしれないし、彼女がそれを閉めそうとせず自分のペースで進めるところにあったのかもしれない。
そもそも、根源的な考え方の違いによって意見の衝突が連鎖的に起こることがありえるのなら、連鎖を理解しなかった私には部分的な欠点を逆心的に裏切ることしか出来ない。それが場面によって違うことを革新していなければ、より革新的な、確信的な、誰かの言うことを信じるのだった。私に私自身を理解しているという示しはいとも簡単だっただろう。それはつまり、何か私が出した結論で、様々な場合をあたれば、その悪い事態を考えればよかったのだ。 しかも私は自分の無意識の影響の慣れにしたがって行動しているらしい。
もしもこの先過去のことをきっちり分析したいのなら、自分の良さも発掘したり、欠点を変えていかないと、やっていけないほど、悲惨なのかもしれない。 敵が攻撃したのに、自分は何も出来なかった、それを知らなかったという点で、自分自身が敵にアパレと賞賛してしまうところに悲惨さがあるのだ。
自分はもっと、沢山、早く考えれば、自分自身をclarify 出来れば、何かが変わったかもしれない。
友達とは、気が置けるような錯覚を覚えるのに、実際には相手を理解するのに用意された答えが無いという危なさが付きまとう。そうしてその人と一緒に生きているようで、実は自分自身の内面の率先さが必要なのだろう。 もしもそうすることで起こりうる仲たがいを避けようとするものならそれは親しき仲に礼儀あり、と言うことかもしれないし、 おじいさんのように、自分と心情が違う肉親には他人以上に懲らしめるということが反射的に起こる人もいるのだろう。
本当の悪党というのは、相手に損をさせることを強要させ、相手に折り返しの力がないところでその先の筋を企てるものなのだ。つまり どうしようもない関係を無理にでも強要する、最初から弱いものいじめの決まりきった関係を完璧にこなそうとするものなのだ。
変わらないことで正当性を示せるものはあるのだろうか?
私と彼女は、Baddies だったのだと思う。実際には全ての人がbaddies という時期を持つように言われていたのかもしれない。だから本当はこのことについては無理に心に留めなくてもよかったのかもしれない。




Linはその文章の書き方や、距離を乗り越えない、力説でない、行動が巧妙でない、率先的でない姿から、純粋な人なのだろうか と思って過ごしてきた。しかし彼女には苦しいときに救ってもらえなかった。事実私を信じてくれた人は誰しいなかった。
彼女とのもつれがなんだったのか
、ただそれが形に表れ、自分がどうやらおろかで彼女はそうではない、と言う点だけを言われたのだった。二年前の私は文章を書くこともまばらなった。ベッドに寝そべながら母にどうやって模写する文章を書くのか聞いて、Linについて書いたことを覚えている。そのとき唯一私が書けたのは彼女だっただろう。そのときの私の中での彼女は、確かになにか特別だった。kevin の存在がそうさせたのかもしれない。彼女の冷たさを疑ったのは最近になってから、文章に気を使うようになってから、TOM TAT という字に気を使ったからだった。
彼女は私の友達だったのだろうか?
LINHと一緒に写った写真で、立っていたけれど、 彼女は何かに対して、 I miss you と、s が無いのだと、you ではないのだと、言った。彼女の意味しているのは、何か聞くべきだったのかもしれない、そんな時、彼女との付き合いは本当は建前くらいにしかなかったのだろうか?それとも、 何か違うものも断続的に部分的に私は信じてきたのだろうかと、そんなことが気になり出した。コレは主張だったのか?指摘や訂正だったのか?それさえも分らない。でも、とにかく、life here is so good i dont want to tell you という言葉の返事であれば、それはもうここにいないし、もう戻らないのだろう、と思ったのかもしれない。゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o
そもそも、そんなことは、歴史の分析を駆け出しの私が、すぐに分るようなものだったのだから、分る可能性もそれなりにあったわけだし、そうすると違う文化圏を入れたくないためにサバを両立しなかったわけも理にかなうけど。
('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
例えば、you are selfish と私はよく言われていた。彼女の言いたかったのは、つまりなんだったのか? selfish な私は、こうして誰かの話を垣間見ることでselfish で少なくなっているようだ。でも実際には、selfish と言った私にそれが分ったのか?その本当の意味が伝わっていなければadvise でもなんでもなくただの束縛でしかないのに。 束縛されないためには示すことが必要だったのだろうか。
もしも彼女は自分自身に言っていたとしたら? そうしたら彼女はその日から、その日からすべてを自分が助かるために、していたのだろうか? だからそんな明らかに私は理解するための方法を知らないのに、私が自分自身の信念もまばらないのに、私の欠点は 彼女が克服するときにしか教えてくれなかったのだろうか? 私は、本当はそレらが欠点であることも知らずに? 私の何が、欠点だったのだろうか? 彼女は親たちが彼女を too nice と言ったと話した。そのときのpity me の日差しと異様な時間の間、 私はこのときに、本当に彼女が too nice なのだろうと、信じたのだった。親たちが比べていたのは何だったのだろうか、そんなことはまったく考えずに。
何度か、プールに誘われたことがあった。LinやKevinを疑うと、その行為が自分らの体をめでる行為に思えた。そもそも、キスをしないなんて、私が始めたことでないのに。医者になりたいとkevinは言ったのに。
ASに入ってから、明は嫌気に私に12年生の人と比べた時の彼の12年生の頃のすごさを切実に事実を述べるように言うようになった。私がそれを聞きたいと思うなら、私に我慢しろといっているようなものだし、そのときの私には、反抗心がどうもあって、それが自分に態度のでかさを疑っているように聞こえた。彼がそういう態度で話してきたのだった。
Linは、I you me と言っていた、そのときの、me という言葉は行く通りにも聞こえる、コレが面白さだったのだろう、と今の私は納得している。
ダニエル、はというと、 私の中でのダニエルは、当たり所がとにかく良い。必要なときに何かを示してくる、回りがそれに反応する。 私を擁護する彼に頼りがいを感じる。
昨日ダニエルが夢に出てきた。 Hi I wan lat と言っていた。彼は条件つきのブレインストームやそれと他のことと合体することに秀でていた。本当はそれしか見なかったのだろうけど、そのとき、彼の動き、体の比率、私の鼓動よりも少し早い口調、恥ずかしいときに主張したり、恥ずかしいことを言ってきたり、困っているときに潔い姿を見せてくれたり、そんな光景を思い出した。
とにかく、学校の指示を分っていなかったのは私くらいで、私が何かをする前にも何かの前提があったのだと思えば、成り行きは色々ごちゃ混ぜになる。
それでも、私がこうして夜寝られずに昔のことを反省しようとして思い出そうとするのは、そういった自分の身に起きた歴史があるからなんだ。
そういう意味では、冷たく思えた I というLinの表現も、考え方次第なのだった。
彼女の冷たさは、私が彼女を理解しないところにあったのかもしれないし、彼女がそれを閉めそうとせず自分のペースで進めるところにあったのかもしれない。
そもそも、根源的な考え方の違いによって意見の衝突が連鎖的に起こることがありえるのなら、連鎖を理解しなかった私には部分的な欠点を逆心的に裏切ることしか出来ない。それが場面によって違うことを革新していなければ、より革新的な、確信的な、誰かの言うことを信じるのだった。私に私自身を理解しているという示しはいとも簡単だっただろう。それはつまり、何か私が出した結論で、様々な場合をあたれば、その悪い事態を考えればよかったのだ。 しかも私は自分の無意識の影響の慣れにしたがって行動しているらしい。
もしもこの先過去のことをきっちり分析したいのなら、自分の良さも発掘したり、欠点を変えていかないと、やっていけないほど、悲惨なのかもしれない。 敵が攻撃したのに、自分は何も出来なかった、それを知らなかったという点で、自分自身が敵にアパレと賞賛してしまうところに悲惨さがあるのだ。
自分はもっと、沢山、早く考えれば、自分自身をclarify 出来れば、何かが変わったかもしれない。
友達とは、気が置けるような錯覚を覚えるのに、実際には相手を理解するのに用意された答えが無いという危なさが付きまとう。そうしてその人と一緒に生きているようで、実は自分自身の内面の率先さが必要なのだろう。 もしもそうすることで起こりうる仲たがいを避けようとするものならそれは親しき仲に礼儀あり、と言うことかもしれないし、 おじいさんのように、自分と心情が違う肉親には他人以上に懲らしめるということが反射的に起こる人もいるのだろう。
本当の悪党というのは、相手に損をさせることを強要させ、相手に折り返しの力がないところでその先の筋を企てるものなのだ。つまり どうしようもない関係を無理にでも強要する、最初から弱いものいじめの決まりきった関係を完璧にこなそうとするものなのだ。
変わらないことで正当性を示せるものはあるのだろうか?