【5日目:康定(海拔2359m)——折多塘(海拔3222m) 実走行距離:15.5km】
康定を出るとすぐ険しい坂があった。今までのどんなのよりも険しい。折多塘村まで3時間半かかった。標高が上がったので、少し酸欠の感じが出たが、全行程で高原反応は出なかった。明日折多山(川蔵線最初の海抜4000メートル級の山)に登る。今日の宿はチベット族っぽかった。特に女性が触ってはいけない筒に入れた経があり、入ってはいけない経を置いた部屋もあった。午後1時ごろ山の上の露天温泉に入ったが、男女混浴でないのは残念だ。みな男で、全裸の人もいた。食事も簡単になり、野菜が少なくなり、蔵香猪と炒めたヤクを食べた。塩辛いバター茶の味も美味しい。夜皆と一緒に锅庄舞を踊った。音楽の才能のない私は乱舞するだけ。地元のある高校生はDJもできる。私たちと一緒に泊まった河北省のおじいさんは、電子科学大学に受かったばかりの息子を連れて来た。おじいさんは6年前にもこの旅をした。彼から以前のいろいろなことを聞いた。前は環境条件が非常に厳しくて、チベット人は非常に素朴でホスピタリティに富んでいて、今のように商業化していなかったそうだ。今度の旅はたくさんのことが起きて、だんだんおもしろくなっていく。
【6日目:折多塘(海拔3222m)——新都桥(海拔3300m) 実走行距離:57.5km】
朝、山が霧に包まれ、湿気がとても重くてすごく寒かった。皆は厚い服や長い手袋などを着て出発した。ずっと九曲回腸の山道だが、いつもと違って、海抜3000メートルから4000メートルのところにあがっているうちに、空気がますます希薄になり、呼吸もますます難しくなった。それで、心臓がずっと激しく動いていた。途中雨が降った。レインコートごとびっしょりになった。非常に寒いから、少し休んだらすぐ走り出さなければならない。折多山の頂上まで1キロメートルくらいのところで、耐えられなくなってかろうじて自転車を押して上がった。もう何時間かかったか忘れたが、本当に泣くほどつらかった。ヤク、牧民、チベット犬、経筒や雲霧たなびく山々などの途中の景色が良かった。頂上で雲霧と狂風が混ぜ合わさって流れていた。新都橋方向を眺めると、青空に白雲、眩しい太陽と山々の色が互いに照り映えて、ますます美しさを増した。遠くの山腹にランドマークのような「康定情歌」という大文字が書いてある。それから、30キロあまりの険しい下り坂を下り、6キロのところでもう少しのところでチベット犬に噛まれそうになって、本当に怖かった。次は「撮影天国」と呼ばれている新都橋だ。そこの美しさは言葉で表せないものだ。曲がりくねった清い小川が青山に流れている。ヤク、チベット犬、馬とチベット人の部屋がところどころに散らばっているのは非常に穏やかな景色だ。よく考えてみれば、この間の苦労はやはり無駄ではない。
【7日目:新都桥(海拔3300m)——相客宗村(海拔3500m) 実走行距離:約90km】
前と同じように、山に登っては下り、下っては登った。今日二番目の海抜4000メートル級の高尔寺山を超えたが、垭口にはいかなかった。5キロメートルのトンネルを通ってから、50キロの下り坂を一気に下りて、雅江についた。昼ご飯を食べてから、18キロの上り坂を登った。太陽が激しいから体がだるくて、足が遅くなって、18時過ぎにやっと到着した。そこの景色はいつものような青空、白雲、青山、緑水だ。もう見飽きた。明日の行程こそ恐ろしいと思っている。全行程が海抜4000メートル以上で、途中の天気も変わりやすいそうだ。ところで、今日はようやく国道318線上の3000メートルの里程標に着いた。
【8日目:相客宗村(海拔3500m)——理塘(海拔4014m) 実際距離:113km】
今日は体の調子が悪いから、車に乗って直接理塘に行った。全行程標高4000メートルで、雲の上を走っていると言える。青空と白雲の下、ほとんどの植物が草だ。そこにいくつかの牧畜の区域がある。まさに世外の高原だ。「中華高城草原明珠」と称される理塘県は世界で一番高い県だという「理」の意味は「銅」で、「塘」の意味は「ダム」だ。すなわち、広いダムが銅鏡のようだ。理塘トンネルを出ると、広い草のダムが直ちに高く見えてくる。まるで、天の際にあるようだ。しかしながら、多くのところで道路が整備されているから、町がごちゃごちゃしていた。夜に雨が降り始めた。明日と明後日は理塘寺と米の城亚丁へ行ってみるつもりだ。
【9日目:理塘で1日休み】
今日は寒くて雨が降っている。何枚か旅館の写真。
邂逅客栈、朝食と夕食を含めて50元だ(このあたりの旅館は全部この値段だ)。しかし、夕食は非常に簡単な鍋料理で、これまでで一番まずい料理だ。明日の朝食がいいかどうかはまだわからない。
(何昆龍)(訳:胡徳宝)


