と言う事で、いいふうふのひ。

俺には縁がなかった🤣。


この日は鹿児島観光では行きにくい方面の大隅半島を目指しました。

前日と同じレンタカー屋で車借りて出発。

まずは桜島フェリーに向かう。





自分が乗ったのは第十六櫻島丸。
これは、その御船印。

桜島まではフェリーで15分。
昼間は15分おき、夜中も30分おきに運航している24時間動いているフェリー。
夜中は夜中で運送会社等がかなり利用しているとか。
確かに陸路だとかなり大回りする必要があるけど、フェリーなら15分だし、諸々安くなりますからね。

桜島は特に立ち寄るわけでもなく、ひたすら鹿屋を目指します。
11時からの見学を申し込んでいた、鹿屋航空基地史料館。

ここも前日に行った知覧と同じく、特攻隊の出撃基地となっていました。
やはり若者が犠牲になって、上層部は何してんだよなと思ってしまう。
遺書の中にはあからさまに軍上層部への批判も綴られていたり、かと思えば特攻隊に選ばれたことを誇りに思うような遺書があったり。
なんにしても10代後半から20代前半の若者が犠牲になって、結局何も残らなかった。悲しい。
靖国神社で会おうと誓った遺書を見ると、靖国参拝批判しているA新聞やM新聞の記者はこれを見ても何にも思わないのか❗️
たぶん何にも思わないだろうなぁ。

とまぁその辺の話はやめときます。











太平洋戦争の資料もありますが、現役の海上自衛隊航空基地でもありますので、屋外展示もなかなか充実しています。
是非とも訪問してみて下さい。

さて、鹿屋は大隅半島でも一番大きな都市で、人口10万人を越えます。
にもかかわらず鉄道空白区。
実は国鉄時代には大隅線と言う路線がありました。
国分~垂水~鹿屋~志布志と結ぶ路線。
志布志からは現在も現役の日南線で宮崎方面、大隅線と同時期(1987年)に廃線となった路線である志布志線で都城方面に出ることができた。

そんな鹿屋駅跡地に、現在は小さな鉄道記念館があります。
正式には駅の跡地は鹿屋市役所が移転してきてまして、鉄道記念館はそれに隣接して建てられています。







キハ20系はさすがに現役で走っているのに乗ったことはない。
簡易の屋根もあるが、かなり傷みが目立ってきてます。




もう鉄道全盛の世の中ではないけど、大隅半島の公共路線として生き残ることは出来なかったのかなぁと思います。
まぁモータリゼーションが進んで、バスが充実すれば、実は鉄道よりも便利になったりしますけどね。
ただ、大隅線が残っていれば、志布志あたりも衰退しないで済んだんじゃ無いかなぁと。

さて、鹿屋を出て、今度は志布志に向かいました。
車で約1.5時間かかりました。

志布志市で一番の名所?


志布志市志布志町志布志の志布志市役所本庁・支所。
かつては本庁が別の場所にあったので、志布志市志布志町志布志 志布志市役所志布志支所となってました。
平仮名で書くと
しぶしししぶしちょうしぶししぶししやくしょしぶしししょ

その後は志布志駅へ。



さて、ここから当初予定では垂水に出て、鴨池までフェリーに乗ろうと思ってましたが、この時点で14時をすぎ、天気もあまり良くない事から諦めて陸路を高速道路使って鹿児島に戻りました。
レンタカー返却したときはかなりの本降り。

で、16時頃にホテルに入ってからスマホを見ると、杏さんからのお誘いが。
もちろんOKしまして一緒に屋台村へ。


なんとマァだらしのない顔(笑)。

2軒目でも。


誰も見たくは無いだろうが、オッサンの笑顔。





ゆっくりと約2時間。
またもや支払わせてもらえず。
東京ではしっかりと接待させていただきます。

そんなわけでお別れ。

突然思い立った旅行、ピンと鹿児島旅行を閃き。
先週金曜日に急に杏さんにLINEで連絡。
そんな突然の来訪にも関わらず、お時間を作っていただいた杏さんには感謝。
😆💕✨

で、明日は朝一便で東京に戻ります。

また来たい鹿児島。
そうだ!2024年は鹿児島に集合しませんか❗️
ダブピー鹿児島大会!

では明日は都内大雨らしいので帰りたく無いですが、、、用事は待ってくれません。
皆さんは良い祝日をお迎え下さい。