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朱砂会のブログ

朱砂会 すさのかい と申します。朱砂は赤の顔料の原料となる赤い石のことです。緋袴の巫女装束と白拍子装束で宴を催すことに由来しています。
古事記や古典の朗読と、箏の生演奏、巫女舞を組み合わせた「宴」シリーズ、「源氏物語」の上演を旨としています。

9月に予定しておりました、当会の10周年記念 第二弾 森鷗外生誕160年・没後100年W記念 の宴は、新型コロナ感染症の感染拡大により来春まで延期することとしました。

来年4月8日に満を持してお届け致します‼︎飛び出すハート


9月の宴に先駆けて、7月に鷗外さんの出身地・島根県は津和野町へ墓参に参りました。

(この時点では予定通り宴を行う予定でおりました。)


新幹線で一旦小倉まで。

米倉、小学1年生まで北九州市に住んでおりましたし、地元に帰省すると小倉まで遊びに行っておりましたので、わりと懐かしの地です。



小倉駅。

このすぐ下に


鷗外さんの住居跡の碑があります。

この住居跡から徒歩10分弱南東に行ったところに、森鷗外旧居が残っています。












観覧無料で、鷗外さんのお家にあがりこめますおねがい


旧陸軍第十二師団の軍医部長として小倉に赴任した鷗外さんは、2年半ほど小倉におられました。

最初に住んだのがこちらで、後にしげ子夫人と再婚、駅前の旧居跡へ転居されています。





小倉城の方へ向かうと、鷗外橋や文学碑などがあります。

鷗外さんは小倉時代、東京への出張時に滋賀県

は土山にある祖父のお墓参りに訪れています。

現在お墓は津和野に改葬され、土山のお寺には碑だけが残っています。


小倉といえば松本清張。この日は、松本清張記念館は臨時閉館でした…。「ある「小倉日記」伝」「鴎外の婢」など、鷗外さんの「小倉日記」をモチーフにした作品があります。


小倉を散策した後、新幹線で一駅、新山口へ移動し、レンタカーで島根県は津和野町へ向かいます。

途中、中原中也のお墓参りに。

朱砂会でも作品を取り上げています。




こちらはさらに津和野町方面に進んだ先、長門峡にある中也碑です。

この辺りは徳佐という地域で、りんごが特産です。

なので、詩碑もりんご型。


久しぶりに峠道を走り、津和野へ到着したのは夕方5時過ぎでした。



太皷谷稲成神社さんの駐車場から津和野の町並みを臨む。

学生の頃地元の友達と行った記憶があるので、多分それ以来でした。

林太郎少年も通った津和野藩の藩校・養老館。


萩の街並みと似ているので、懐かしく感じます。

この日は津和野のホテルに宿泊。


なんと、ホテルのフロントに「ご自由におとりください」と、鷗外さんの遺言書レプリカが!

ちゃんと中身まで…泣き笑い 


翌朝は鷗外先生の珈琲を頂きました。

普段珈琲を飲まないので、ヨーロッパテイストなのかはよくわからずです。

現在は鷗外さんの好物を再現したお食事が食べられるお宿も増えたようです。饅頭茶漬け食べたかった…


そして今回の旅のメイン。永明寺さんにて、鷗外さんのお墓参りを。

以前三鷹市の禅林寺さんのお墓にはお参りいたしまして、あちらは太宰治さんのお墓もありますし、なんだか賑やかな印象を受けたのですが、こちらは静謐そのものでした。

そして森鷗外記念館へ。




こちらは森鷗外旧宅。このお部屋は林太郎少年の勉強部屋だったそうです。


今年は津和野町では御朱印も鷗外さんです。

太皷谷稲成神社さんでは「山椒大夫」、永明寺さんでは「舞姫」、弥栄神社さんでは「高瀬舟」を頂けます。

(あと、萩の雲林寺さんでもコラボ御朱印頂けます)


昨年「雪華の宴」で「舞姫」を、来年は「高瀬舟」を再演するので、この二体は必ず頂かねばと思っておりました。


この後、感染者数も激増し、ピークの頃に常連様方に宴のご案内をするにも気がひける…ということで、来春まで延期することに。

2023年4月8日に、二部制の宴として上演致します。

一部は古事記や舞やフリマ、二部は森鷗外「高瀬舟」をみかんさんの尺八とともにお届けします。


配信はしないの?とのお声も頂きますが、当会は、会場が持つ雰囲気、そこまでの道のり、当日のお天気、お客さまからいただく空気、その日その時にしか味わえない感覚を楽しんで頂くのが主旨ですので、今後も配信の予定はございません。


宴の名称、時間等詳細が決まり次第お知らせ致します。