先日の『さて問題!京都にあるこの寺は何処⁉️』の正解は壬生寺でした。

☟先日のblog

 

 

 

クイズにご参加頂きありがとうございましたm(._.)m
ほとんどの方、正解でした。

ちょっとした難問だと思ったのですが・・・
皆さん流石です(^-^)

 

 

壬生寺表門より境内を望む

 

京都の裏鬼門に位置することから、厄除け・開運の寺として京都市民の信仰を集めています。

 

本堂と新選組の羽織の猫🐈

 

かつて壬生寺の境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行われていました。


☟阿弥陀堂に入ります


阿弥陀堂の奥、境内の東側にある池の中島は『壬生塚』と呼ばれ、新選組関連の遺跡になっています。


☟近藤勇の胸像横には新選組推しの絵馬

 

壬生寺には、かつて京都の市街地を整備した際に集められた石仏が3000体安置されており、その内の1000体でこの『千体仏塔』が作られています。

 


壬生寺のすぐ近くにある『八木邸』は新選組が結成された家です。

 

☟新選組屯所遺蹟の石碑

 

現在『八木家』は御菓子司『京都鶴屋』を名乗り、『屯所餅』の鶴寿庵として知られています。

 

☟屯所餅とお抹茶をいただきました(^。^)

 

☟新選組発祥の地(八木家)

 

☟京都市指定有形文化財八木家住宅


長屋門と主屋の二つが京都市有形文化財


主屋にある奥座敷は『新選組三大内部抗争』の一つ『芹澤鴨暗殺』の場で、文久3年9月18日、土砂降りの深夜芹澤鴨、平山五郎ら4人が暗殺されました。

現存する刀傷がその凄惨さを物語っておりました。


壬生の地で生まれ、幕末京都の治安を守った新選組。


壬生が手狭になり、西本願寺の太鼓番屋や御所、島原へ屯所(宿舎)を転々としましたが、ここ壬生の八木邸だけが現存唯一の屯所です。


1863年春から1865年夏にかけて足かけ3年の新選組壬生屯所時代。

新選組が最も輝いていたのはこの時代なのでしょうね。


おしまい