ラフカディオハーン・小泉八雲
アイルランド人の父とギリシャ人の母の次男として、ギリシャのレフカダ島で生まれたパトリック・ラフカディオ
2歳の時、資産家の大叔母(祖母の妹)に引き取られ養育されます。
以後、フランスやイギリスのカトリック学校で過ごしますが、7歳の時には父母が離婚。16歳の年に父が死去。その翌年には養育してくれていた大叔母が破産。
やむなく学校を中退し、19歳で移民船に乗ってアメリカへ渡ります。
以後40歳までの20年間、ニューヨーク➡︎シンシナティ➡︎メンフィス➡︎ニューオーリンズ➡︎マルティニーク(カリブ海)➡︎ニューヨークなどを、ジャーナリスト・作家として渡り歩くことになります。
そして、ニューオーリンズ滞在中の万博で出会った日本文化(特に古事記)に興味を覚え40歳で日本へ渡ります。その後54歳で亡くなるまでの14年間を日本で過ごしています。
当初、アメリカの出版社の通信員の立場で来日を果たしますが、早々にその出版社とはトラブルが発生したため、日本での最初の仕事として島根県松江市での英語教師を引き受けました。
松江はラフカディオ・ハーンが日本に興味を抱いた古事記「出雲神話」発祥の地。
ハーンの日本名「小泉八雲」は出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」からきているのでしょうから、これ以上ない赴任地だったかも(^o^)
因みに姓はその後結婚した松江の士族小泉家の娘「小泉せつ」の姓。帰化し「小泉姓」を名乗りました。
松江市にある小泉八雲記念館がよく知られているけれど、焼津市にも『焼津小泉八雲記念館』があります。
晩年の八雲は焼津の海と町、そして焼津に暮らす人々をとても気に入り、毎年夏休みの度に1ヶ月以上を焼津で過ごしていました。
☟焼津市文化センターに隣接する『小泉八雲記念館』入館無料🆓
☟有名な小泉八雲の『怪談』
元々、古くから伝わっていた日本の民話や伝説など(耳無芳一、雪女、ろくろ首、むじな、乳母ざくらなど)を再編集し、八雲なりの解釈を加え、文学に昇華させているのが凄いです❗️
日本の文化を愛してこそ、またその風習にどっぷり浸かっていないと書けない物語。
妻せつさんの協力の賜物でしょうね。
☟焼津の魚商人『山口乙吉』さんとの友情
☟晩年の数年間、避暑地として過ごした山口乙吉さん宅の二階の部屋を再現
☟小泉八雲使用の品々
数奇な運命に翻弄され、世界中を渡り歩くことになったけれど、最後は好きな日本の田舎町でのんびり暮らしたハーンの生涯。
120年前の焼津にそんな外国人がいた❗️
おしまい