信州の五稜郭 龍岡城五稜郭 | 道祖神の招きにあひて

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八ヶ岳山麓の山小舎(ヒュッテ)をベースにした、百名山登山、スキー、自転車・鉄道・巡礼の旅、秘湯、自然観察、DIYなどの趣味のブログです。

佐久市の龍岡城🏯五稜郭は函館とともに日本に二つしかない星形稜堡(りょうほ)の洋式城郭で貴重な史跡。

函館の五稜郭は有名だけど、龍岡城の五稜郭を知る人は少数派。

 

JAXAのパラボラアンテナ📡を見学に行った日、臼田の街まで下り龍岡城🏯五稜郭を訪ねた。

 

☟上空から見た龍岡城五稜郭(画像は佐久市観光協会のHPからお借りしました)

 

龍岡城へ向かう途中、R141沿いにあるコスモタワーから、五稜郭の星形☆を探してみた。

 

☟R141から特に目立つコスモタワー

 

地上22mから探してみたけど、ちょっと遠くて五角形が分からない(あの辺りなんだろうけど)

 

案内板

 

☟内堀と星形の突起部分

 

 

☟「史跡龍岡城」の碑

 

☟大手門

 

明治4年(1871年)、廃藩とともに兵部省は全国の城郭取り壊しを布告。龍岡城五稜郭は地所・石垣はそのままにして建物は入札払い下げとなった。

建物のほとんどは取り壊されたが、御殿の一部「お台所」だけは幸いにして翌年(明治5年)の学制発布による学校としての使用申請が認められ唯一貴重な遺構として残された。

 

☟唯一残された建物『お台所』 

その後、長く校舎として使用された

 

☟城郭の大半は小学校用地として150年近くの間使用されたが、今年3月末惜しまれつつ閉校となってしまった。

 

☟通用門

 

 

☟同縮尺の左が函館五稜郭、右が龍岡城五稜郭

☝同じ星形、面積は四分の一

 

幕末、未完成のまま廃城となった龍岡城五稜郭。

歴史の波にもまれ数奇な運命を乗り越えた星形稜堡は貴重な国史跡。

 

おしまい