私は色々なものを抱えている。

うつ病、強迫性障害、ADHD、ASD、軽度知的障害など色々な障害を抱えている。


しかし、これを甘えだという人がいる。

治らないのはやる気がないからだ。

治らないのは治す気がないからだ。

甘えているからこんな障害になるんだ。

障害者手帳も障害者雇用も障害者年金も甘えだ。


そうやっていう人が世間をみれば一定数存在する。

しかし、本当にそうだろうか。


そもそも、ADHDやASDなどの発達障害、知的障害は脳の先天的異常のため治るものではない。

うつ病や強迫性障害などは、治るものではなく寛解を目指すものだ。例えどれだけ良くなったとしても、決して元の、うつ病などになる前の自分に戻ることはできない。


そして、これらを抱えた生活はとてつもなく辛く、苦しい。

1日中、身体が重たい。

働きたくても働けない。

入浴や歯磨きができない。

働けないことで、お金がない。

他人と上手く関わることができない。

小学校1年生でもわかる問題が、わからない。

これから抱えた生活沢山の”ない“でできている。

これを甘えだと言うのだろうか。

そんな簡単なものじゃない。


この沢山の”ない“は努力でどうにかなるものではない。甘えているからできないわけでもない。障害がそうさせているものなのだ。決して、努力をしていないわけではない。


私は、障害を抱える人は強い人だと思っている。

沢山の“ない”でできあがった、生活はとてつもなく辛く、苦しい。それでもなお、生きている。前をむこうとしている。その生きる選択をあと押して助けるために、障害者手帳や障害者雇用、障害者年金はあると思っいる。この生活を経験したことがない人たちに、甘えや努力不足なんて軽々しい言葉を使ってほしいくない。


目に見えないハンディを抱えながらも、自分と向き合い、生き続けている、勇ましいサバイバーだと私は思っている。