お金がない。

非常に良くない現実だ。


精神疾患になるまで正社員と働いていた時は、平均程度のお給料をもらっていた。しかし、現在は週3日に5時間の勤務になってしまい、お給料は3分の1程度になった。そんな今、今までの貯金を削りながらの生活をしている。しかし、その生活も長くは続かないだろう。


そこで私は生活が立ち行かなくなる前に生活保護の流れなどについて相談に行くことにした。しかし、そこで聞いた話は、流石は最後のセーフティネットと言われるだけある生活保護の高い、高い壁だった。


ここからの話は、住んでいる都道府県や市町村によっても変わってくる話の可能性があるのであくまで“私”の話として書き進める。

最初、私が相談に行き「生活保護のことで話が聞きたいです」というと、個人情報を考慮してか別室で話を聞いてもらうことになった。

そこで私は今までの生活や疾患のこと、仕事のことについて話をした。その間、担当の方は「そうなんですね」、「大変でしたね」と言いながらメモを取りながら熱心に話を聞いてくれた。そして話を聞き終わったあと、「これからの対応について課内で相談させて下さい」と数十分間席を外された。そして、数十分間して帰って来られた時に言われた言葉は「名字さん、実家に帰りましょう」だった。


まず、わかっていたことだが、生活が立ち行かなくなる前に行ったこともあり、今から生活保護の申請はできないとのことだった。しかし、話の限りこのままでは遅かれ早かれ生活保護になるのは確かだった。そこで、出された決断は「実家に帰る」だった。

担当の方が言うには、両親が健在で、両親とも働いており、持ち家があるなら、両親を頼ってくださいとのことだった。しかし、正直いうとその両親が頼れないため、国に頼んでいるのだ。両親は虐待こそしなかったものの、それを見て見ぬふりをしてきた人間だ。それに、実家には精神疾患のきょうだいがいるため、これ以上支援はできないと両親から言われていた。そしてこの内容は最初に伝えていた。しかし、それでも実家に帰ることを提案されたのだ。

再度、家族のことについて伝えたが「実際、可愛い娘が頼ってきたら助けてくれるのが親です」「実家で養生しましょうよ」「人間、実家がなんだかんだ1番安心できるところですから」と返されてしまった。


生活保護は、最後のセーフティネットとも言われている。そのため、条件など壁は高い。だが、ここまで実家に帰ることを推されるとは思ってもみなかった。もっと、別の案を出してくれたり、方法を一緒に考えてくれたりするものかもしれないと思って、私は相談に行ったのだ。しかし、結果はこれ。そして、最後に『頑張ってくださいね』と言われ、そこで相談終了となった。


現実も通帳とにらめっこをするギリギリのラインで生活をしている。もしかしたら、次に相談に行くときは申請しなければいけない状況になっているかもしれない。それでも私は両親を頼るように言われのだろうか。そう言われてしまうなら、私はどうしたらいいのだろうか。そんなことを考えた1日だった。