私はうつ病の他に、強迫性障害という疾患も抱えている。


強迫性障害とは、行動や考え方に強いこだわりがあり、それを『しなければならい』という強迫観念に取り憑かれ、日常生活に支障が出る病気のことである。


私の症状としては大きく分けて5つある。

1つ目は、確認行為だ。

これは大学生になり、一人暮らしをするようになってから始まった。今まで実家では常に誰か人がいたため、鍵を閉める行為をしたことがなかった。しかし、一人暮らしが始まり、鍵の確認、ガスの確認をしなければならなくなったことで少しずつ、確認行為が過剰になっていった。

そして、その確認行為に拍車をかける人物が現れた。それが父親である。父親も診断こそ出ていないものの、かなり確認行為について『しなければならい』という強迫観念の強い人物だった。

大学時代、父親からよく「ちゃんと鍵を閉めて、家を出たか?」「ガスの元栓は締めたか?」など連絡が来てきた。その通知を見るたびに授業中に不安になるようになった。それに加えて、パトカーや消防車のサイレンが鳴るたびに、家に来てるんじゃないかと不安になり、家に帰るようになった。家を出るにも何十回と確認するようになり、毎回遅刻ギリギリの登校になり始めた。遅刻を回避するために、写真を撮ったり、動画を撮ったりと私なりの工夫はしたが『本当に今日撮った写真なのか』と不安になるようになった。

社会人になってから、確認行為は更に加速し、鍵の確認のためにドアノブを何回も引っ張ったことで会社のドアを壊したり、書類ミスが怖くて毎回提出期限ギリギリに提出したりするようになった。


2つ目は、数字へのこだわりだ。

古い考え方の家だったこともあり、4や9といった数字を祖母はやけに嫌っていた。何かを4つ買った日には「縁起が悪い数字を買うてきて!」と怒鳴られた。そんなことがあり、縁起が悪いとされている数字に対して恐怖を抱くようになり、縁起が悪いとされている数字の日には出かけることさえ恐れるようになっていった。


3つ目は、ルーティンのこだわりだ。

私は不安から、朝起きて家を出るまでの流れ、帰宅してから寝るまでの流れが決まっていた。決めてしまわないと、何か悪いことが起きるのではないかという不安が漠然とあったからだ。きっかけやいつからするようになったかは覚えていないものの、ルーティン通りでないと不安になり、悪いことが起こるのではないかという思考で頭がいっぱいになった。例えば、仕事に遅刻しそうでも、どれだけ疲れていても、そのルーティンを崩すことが怖くてできないのだ。


4つ目は、六曜のこだわりだ。

六曜とは、大安や赤口などその日の吉兆を判断するための1つの考え方のことである。私の家は昔からこの六曜をかなり気にする家だった。何をするにもカレンダーで六曜を確認してから日程を決めたり、何か新しいものを使い始める日も大安以外許されなりした家庭だった。もし、六曜を確認せず物事を決めた日には祖母や父親、親戚たちから責められ、怒鳴られた。それが原因で私も六曜を確認しなければ物事を決めたり、新しいもの、ことを始めたりすることができなくなっていた。


5つ目は、加害恐怖だ。

以前投稿したブログにも書いたが、祖母は私を犯罪者扱いする人物だった。最初はそんなこと気にもしていなかったが、次第に買い物後に『これは万引きをしたものなんじゃないか』という恐怖に駆られ、お店に戻って確認するようになった。社会人になり、車を使うようになってからは、少しの音や振動でも『誰かを引いたんじゃないか』という恐怖に駆られ、何度も車を降りて確認するようになった。仕事でも車を使うことがあったが、何かあるたびに車を止めて確認するため、待ち合わせに遅れることも出てくるようになっていった。


この話をすると主治医からは重度の強迫性障害だと言われ、強迫性障害の診断が出た。そして、主治医から過去の虐待による影響もあるだろうと言われた。私はそれを聞いて、元々の気質もあるだろうが、虐待がうつ病以外の精神疾患まで発病させ、生きづらくなっていることに絶望した。


現在はカウンセリングや服薬のおかげで少しは症状が楽にはなったものの、まだまだ日常生活や仕事に影響は出ており、生きづらい生活を送っている。


虐待は虐待を受けている期間だけが辛いわけではない。その後の人生にも、生きづらさや精神疾患発病などの影響を及ぼすものだと身をもって実感する日々である。