今回は、前回に引き続き大人の集団に参加してきた。

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今回は、ASDについての授業と困り感の共有という時間だった。ASDの特性などについての授業があった後グループに分かれ、日々の困り感を共有するというのが今回の流れだった。その中で、気づいたことは同じ障害、同じ特性を持っていても、それを“困り感”と捉えるかどうかは人それぞれだということだ。


例えば、同じ過集中という特性を持っていても、それを困り感と捉える人もいれば、自分の特技だと捉える人もいる。困り感と捉える私は、集中するあまり自分の世界に入ってしまい、周りの声が聞こえず、迷惑をかけてしまうことに困り感を感じ、生きづらさを抱えていた。しかし、そのことを話すと「僕も同じ特性を持っていますが、困り感とは感じたことがないですね。寧ろ、自分の特技だと思っています。集中して何かに取り組み続けるって、誰もが簡単にできないことですから。」と伝えてくれた。目から鱗とはこのことだろう。私は同じ特性がある人は皆悩んでいると思い込んでいた節があったため、とても驚いた。でも、その方の言葉を聞いて、大変なことはあるかもしれないがこれは立派な特技だと感じることができた。

その後、困り感に対しての対応などについてもグループワークが行われたが、そこでも出てくる対応は皆さん多様なものだった。過集中について、タイマーで対応している方もいれば、タイマーでは気づかないため、振動型の腕時計を付けている方、友だちや家族、同僚に声をかけてもらえるようにしている方など、同じ困り感でも、自分に合う方法で対策していることが知れて、とても勉強になる時間だった。


今回も学びの多い時間だったが、特に私が強く印象に残った言葉がある。臨床心理士さんが伝えてくれた言葉なのだが、「ASDの方は、宇宙を1人で歩く感覚の中で生きているんです。それはとても難しく、孤独なことです。その中で、何十年も自分と向き合い、対策を何度も試行錯誤しながら生きてこられた皆さんは、自分のことをもっと誇ってください。」


こだわりが強かったり、自分の世界で生きていたりするなどの特性が挙げられるASDという発達障害。日常生活を送る中で困り感も多く、生きづらさを感じていた私の中に臨書心理士さんの言葉がスッと入っていた感覚があった。そうか、私は宇宙にいるのかと。1人、地球ではない別の空間にいるからこそ、困り感や生きづらさ、孤独感が生まれるのかと。今までの生きづらかった人生にようやく少しの意味を見いだせたような気がした。