こんにちは、サバイバル・アンナです。

 

 

5月31日、Judge Napolitano - Judging Freedom がアップしたミアシャイマー教授とのインタビュー動画から、ウクライナ戦争の経緯を短く語った部分(冒頭から8:30まで)を要約します。

カッコ内は個人的な補足です。

 

 

<切り抜き要約始まり>

 

 

1989年冷戦が終結し、1991年12月にソビエト連邦が崩壊した。その後米国ではクリントン政権が始まると、NATOを東に拡大すべきか否かの議論が交わされるようになった。政権内では、国防長官、統合参謀本部議長(アメリカ軍の軍人トップ)らが、そして政権外ではジョージ・ケナン(冷戦時代の外交官)らがNATO東方拡大の危険性を訴えた。しかし政権内のリベラル国際主義者たちがクリントンを説得し、1994年にNATO東方拡大が決定された。

 

1999年に最初の東方拡大が行われ、ポーランド、ハンガリー、チェコが加盟。そして2004年にはルーマニア、ブルガリア、スロベニア、スロバキア等が加盟した。ロシアはこの2回のNATO拡大に強く反発したが、ロシアにとっての決定的な脅威とはならなかった。しかし2008年4月、ウクライナとジョージアのNATO加盟案が公表されると、ロシアは断固として加盟はあり得ないとの立場を明らかにした。

 

この時、モスクワの米国大使であったビル・バーンズ(現在のCIA長官)はコンドリーザ・ライス国務長官あてに緊急のメモを送っている。ウクライナをNATOに加盟させるのはロシアにとって超えてはいけない禁忌の一線だ、と伝えたメモはのちにジュリアン・アサンジ(ウィキリークス)によってリークされている。重要なのは、これがロシア上層部にとって国家存続に関わる脅威であったことだ。

 

この数か月後、2008年8月にロシアとジョージアとの間で争いが勃発。そして2014年2月にはウクライナとの間で争いがおこり、ロシアはクリミアを併合、ドンバス地方では内戦が続いた。この争いから2022年2月のウクライナ戦争開始までの間に、米国はウクライナの武装・軍事訓練を進めて事実上の同盟国にしたのである。ロシアはウクライナのNATO加盟を阻止すべく外交を試みたが、米国が交渉に応じることはなかった。

 

 

ここで興味深いのは、1990年代にNATO東方拡大が議論された際、政権内には多くの反対派がいたにもかかわらず、いったん拡大が決定されると、反対派はことごとく消えて行ったことである。熱心さの度合いの差はあれど、誰もがNATO東方拡大を支持した。オバマ元大統領は消極的であったが、当時の副大統領バイデンは格別に熱心な東方拡大支持者だった。

 

2017年トランプの大統領就任当初、彼はプーチンとの関係改善に関心を持っていた。ヨーロッパからは手を引きたいと思っていたと私は考えるが、政権が始まると、彼の意見はことごとく対外政策の既存勢力に跳ね返されたのである。次期大統領選挙に向けてトランプは、今度こそ自分側の人間で政権を固めると明言している。ヨーロッパが彼の再選を恐れているのは言うまでもない。

<終わり>