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駿河堂のブログ

オルタナ?メディア、もう一つの視点

昨年、9月に長崎の上五島巡礼の旅に参加し、

11月初めに、ロンドンとパリを旅して・・・・・

帰国後に、東京ドームでのローマ法王フランシスコのミサに与かった。

 

カトリックの信徒としての視点から物事を見るようになってから、

日本のみならず、世界にも目が向くようになった。

キリスト教の歴史は、世界のあらゆる国の歴史に関わり、

命あるものの根幹に関わる「何か」を常に問うていると感じる。

 

「すべての命を守るため」

というテーマを携えて、11月末に来日されたフランシスコ教皇。

その直後、新型コロナウイルス感染症が中国・武漢で発生し、

あれよあれよという間に、世界中に拡散した。

 

昨年訪れたロンドン、パリ・・・・・

そして東京・・・・・

世界中が、同じ脅威に晒されている。

 

(昨年11月に訪れた、パリにある「不思議のメダイの聖母の教会。

1832年にパリで2万人以上の命をうばった疫病コレラから、聖母

のメダイによって多くの市民を救ったという。)

 

 

私は、当初、「すべての命」というのは、難民問題をはじめとした

「人命」を意味していると勝手に解釈していた。

だが、それは一部の解釈でしかないことに、今になってわかった。

 

人類だけでなく、動植物から地球そのものまでが「すべての命」だったのだ。

 

今、個人として最も興味深いことがある。

今回の新型コロナウイルス感染症に起因し、

「温室効果ガスが劇的に削減されている」ということだ。

 

「温室効果ガスによる地球温暖化」は、

1970年代頃から議論されてきているらしいが、既に1980年代には、

異常気象や、自然災害などが温暖化によるものと関係づけられている。

その後、世界規模での温室効果ガス削減にチャレンジするも、

最も排出量の多い国ほど参加しなかったり、途中であきらめたり、

発展途上の国々に至っては抑制の計画さえたっていないという。

つまり、

このままではやがて人類の生命危機が訪れると知っていながら、

私たちは今の生活や暮らしを手放せないでいるのだ。

かと言って、経済システムにがんじがらめの毎日の生活の中で、

私たちができることは・・・・・

ゴミの分別とか、エコバッグとか、電気の節約など・・・・・

ごくごく限られている。

 

しかしながら、今回のコロナウイルス感染症による各国の封鎖などにより、

温室効果ガスは、劇的に削減された。

・・・・・ウイルスによって、地球にとっては、人間がウイルスであることを

思い知らされることとなった。

地球を我が物顔で、資源も自然もむさぼっている自分。

 

(パリのセーヌ川。コロナによる封鎖で、遊覧船の往来がなくなり

川の水が今までにないくらい澄んでいるという。)

 

 

「もとの世界に戻りたい」

 

ほんんどの人類がそう思っているのかもしれないが、

もとの日常に戻ることは、地球環境を破壊する日常に戻ることでもある。

現状の経済システムやエネルギー環境などを、根本的に変えることをしないと

また同じ繰り返しになるに違いない。

 

自分が今、なんとなく本能的な部分で考えているのは、

少しでも、「もとの世界に戻らない」ために、何ができるかな、ということだ。

 

 

既に・・・・・

中国では経済が再開し始めているというが・・・・・

 

 

 

(自動車産業の変革なしには、温室効果ガスの削減はできないと

言われている。たとえEVにしたとしても、その電力の供給源によっては

意味がなくなる。車は好きだが、個人として必要最低限に留めることを考え中。

写真:ロンドン市内で。乗ってみたいと思っていたジャガーの2シーター。)

 

 

飼い主さんが、

「軽減税率」とやらにイラつきながらPCに向かっている今日この頃。

そんな今日この頃の今日、穏やかな土曜日・・・・

 

私、のんのは12歳になりましたビックリマーク

 

 

 

 

犬の12歳というのは、人間でいうと何歳はてなマーク

大きさや犬種、個体によっても違うらしいのですが、

だいたい、人の1年が犬の5~7年くらいにあたるそうです。

ということは、60歳~84歳・・・・随分な開きがあるんですね。

 

私、ノーフォークテリアは英国原産の小型犬。

寿命は平均して12歳~15歳らしい。

あくまでも平均で、20歳くらいまで生きるのフォークもたくさんいるとのこと。

そう言えば、

飼い主さんが子供の頃に飼っていたシロ君(ジャーマンスピッツ?)は、

24歳まで生きたと聞いています。

 

ともかく、

食欲も動きも、元気の度合いも変わらずに毎日を過ごしています。

昨年のはじめくらいから、心臓のお薬を飲み続けていますが、

年2回の検査では、ほぼ変わらず問題ありません。

それに、

ご飯を食べ終わる時、飼い主さんが背中をなでながら、

「のんちゃん、長生き決定ドキドキビックリマーク

と、いつも言ってくれます。

 

大好きなドライブの時は、

体が安定しながら、窓から外が眺められるように、

ベッドのようなクッションを置いてくれています。

景色を見てから、ベッドに横になってウトウトしたり、

運転する飼い主さんをじ~っと眺めたりします。

飼い主さんはだいたいいつも、

運転しながら、メタルとかロックな音楽にあわせて

私・のんのへのラブソングを替え歌みたいにして歌ってくれます音譜

 

飼い主さんは、ここ数年で、

ずいぶん頭も身体もポンコツになったらしいのですが、

「のんちゃんを残して死ぬわけにはいかないビックリマーク

と必死にがんばってくれているので、

私もポンコツな飼い主さんを支え、長生きしてもらうためにも、

毎日元気に過ごしたいと思いますラブラブ

 

 

(ピートさんからのお誕生日プレゼントの「キリンさん」をかみかみ。

ピートさんは、いつも素敵なおもちゃや美味しいおやつを買ってきて

くれますドキドキ

 

「日本はもっと難民を受け入れてほしい」

 

昨年11月、歴史的な来日を遂げられた、ローマ法王フランシスコのお言葉。

しかしながら、

難民や移民の受け入れには、大きなリスクもつきまとう。

その中には、「差別意識」というものも存在するのだが、

有事の際に、より顕著に表れやすい。

現在の「新型コロナウィルス」による非常事態において、身に染みて感じられた人もいらっしゃるのではないだろうか。

 

 

(ロンドンで、かなり狭いが便利な地下鉄。車体が円筒形なのでチューブと

呼ばれる。現在、新型コロナウィルスの感染を拡散する可能性のある機関として

専門家が警鐘を鳴らしている。3月に再びロンドン行きを考えていたが、

アジア人観光客=コロナウィルス、控えたほうがよさそうだ。)

 

 

日本国内においても例外ではない。

戦争によって生じた難民、いわゆる在日韓国・朝鮮人の問題は、時代とともに薄れてきたとはいえ、未だに引きずっている。

そしてその「難民」へ向けられる自国民の差別意識は、薄れてきているのかもしれないが、国同士の摩擦がある度に、ひとくくりにされて差別対象となってしまう。

 

・・・・日本は、難民の受け入れに非常に厳しいというが、

国土の狭さもあるにせよ、難民を受け入れたことによって、戦後70年以上経った今も問題を抱えていることから考えると、厳しくなるのは当然ともいえる。

歴史的な事情を抜きに考えても・・・・

衣食住がなんとか足りたとしても、言語や文化、宗教や生活習慣の違いなど、理解と習得のための支援や、長期化を考えての就労や子育て支援などを含めると、膨大な費用と人材が必要となる。

既に今現在ですら、追い付いていない状況がうかがえる。

加えて、日本は地震などの災害が多い。まだまだ復興途中の地域もあり、仮設住宅に住んでおられる方もいるというのに・・・・だ。

 

「銭のない奴は俺んとこに来い 俺もないけど心配すんな

 見ろよ青い空 白い雲~ 

 そのうちなんとかなるだろう~」

個人的にはただのほら吹き、ビジネスになると詐欺、

国家となると・・・・

無責任では済まされないことなのだ。

中、長期的なビジョンをひっくるめた受け入れ態勢が、「そのうち」ではなく、

最初から必要だ。

 

「それはそうと、ヴァチカン市国では、難民を受け入れているの?」

ふと思った。

もう既に2015年頃には、ヴァチカンでも難民を受け入れており、

イタリア自体は難民、移民でパンク状態となっている。

欧州(12万のカトリック教区がある)にも1教区に1家族は受け入れるように

呼びかけている。

・・・・ただ無責任に「難民受け入れ」という言葉を残されていったわけでは

ない・・・・

 

自分個人に至っては、「難民」という言葉を投げかけられたことで、

世界が抱える難民問題、そして足元である自国の事情にまで意識を向ける

こととなった。

そして、究極は自分の心の中。

自分は・・・・何かしらの差別意識を持ったことがあるだろうか。

幸いなのかどうなのかわからないが、生まれ育った環境には差別的なものを

感じる要素は直接には何もなく、現在に至るまでもほとんどないように

思える。

かつて、軍事政権下の韓国に行った時でさえ、接した韓国の人々は優しかった。

あ・・・・、そう言えば、ニューヨークのあるブランド店の店員さん(白人)は、

ちょっと冷ややかで感じ悪かったかも。

それぐらいだ。

 

とどのつまり、自分が「難民」になってみないと本当の気持ちなど

わからないわけだが、

今、何かしら自分にできることはあるのだろうか。

 

 

(パリの空の下で。欧州最大の多民族国家であるフランス。

難民・移民を受け入れながら、常にその問題を抱えている。観光するにはとても

素敵な国ではあるが、住むとなると厳しいものがありそうだ。)

 

メディアやSNSの発達で、

容易に情報や知識を得られるし、会ったこともない人とのコミュニケーションも

とれるようになっている。

ネットを通じて、まるで「どこでもドア」のように、外国の景色を眺めたり、

時には個人の日常にまで踏みこむことさえ可能だ。

 

けれど、

「事件は現場で起きている」ので、有事の際に駆けつけられるのは、

「人の足」でしかないし、直接差しのべられるのは「人の手」しかない。

そして・・・・

物事は、どこか遠いところの出来事ではなく、自分の足元でも起きているかも

しれないのだ。

 

ローマ法王・フランシスコが来日された際、いくつかお願い事を述べられていた。

実は、11月の東京ドームの教皇ミサに参加したのだが、信徒のマナーを欠いた異常なはしゃぎぶりに、心底がっかりしてしまい、年が明けるまでなんだか虚しいままで、述べられた内容についても触れる気力がわかなかった。

しかしながら、毎週日曜日の主日のミサで、神父様たちが教皇さまが来日時に述べられた事を、エピソードを交えて説いてくださっていたので、東京ドームミサ時の雑音が少しずつなくなり、やっと真意に触れることができるようになった。

 

(東京ドームでのローマ法王ミサ。始まる前は、穏やかだったが・・・・。

 2019年11月25日)

 

 

中でも、「日本はもっと難民を受け入れてほしい」という事柄に興味を持った。

教皇ミサ前の同じ11月、英仏を旅したのだが、パリのシャルルドゴール空港から日本に帰るその日の午前中、シリア難民の整理関連で、空港周辺の道路が渋滞して大変だったという話を聞いた。

幸い、夜の便だったので、移動していた夕方は平常に戻っていた。

シャルルドゴール空港のあるパリの北東部には、シリア難民キャンプがある。

「難民・・・・」

その時は、自分にとって馴染みのない言葉、事柄に思えた。

そして、小さな島国では感じられない、広大な陸続きの国で起きている戦争の

驚異のようなものを感じた。

 

 

(パリ・マレ地区にあるファラフェルの人気店。

ファラフェルとは中東の料理。フランスは、東欧、中東やアフリカなどからの移民、難民を受け入れてきた。欧州最大の多民族国家。)

 

 

フランスは、ヨーロッパではドイツに次ぐ難民受け入れ国となっている。

しかしながら、2015年に起きた「パリ同時多発テロ事件」の実行犯の中には

シリア難民を装って入国した者もいたとのことで、善意が仇となってしまった

痛ましい現実もある。

また、受け入れ態勢が十分でなかったり、追い付かなかったりすることで、

衛生上の問題や、犯罪や暴動などが起きてしまうと、自国民の生活が脅かされて

しまう。

そうすると、どんなに善意ある人の中にも、警戒心や「差別意識」が生まれて

しまうのだ。

元々、歴然として「非フランス人」を見下している国として有名だけに、

難民生活は非常に厳しいものであることが想像される。

 

有事の際に、より顕著に表れやすいのが、差別意識だ。

現在の「新型コロナウィルス」による非常事態において、身に染みて感じられた人もいらっしゃるのではないだろうか。

自由と平等を推進する現代においても、欧米では「非白人」は根強く差別対象になっているのが、ネットやSNSから容易にうかがい知ることができる。

また、欧米からひとくくりにされている「アジア人」の中でも、国や民族間での、

これまた根強い差別意識が存在する・・・・。

 

 

 

世の中が便利になればなるほど・・・・

なぜか多忙になるという矛盾。

 

特にネットの世界は、便利なのだが、ちゃんとやろうと思うと

結構時間がかかる。

ましてや仕事なんかが関わってくると、時間もお金もかかる。

人の欲望や心配は、まんまと商売の手玉に取られて、

24時間転がされ、一生流されていくのかもしれない。

 

 

(愛犬との散歩コースに、ピートさんが見つけてくれたカフェ。

テラス1テーブルのみワンちゃんOK。ぼーっとできるカフェ発見。

「neonera」

 

 

自分は、誰かと「共有」することに幸福を感じるようだ。

独りで満足する場合もあるが、その満足を誰かに共感してもらえた時は、

とても嬉しく思う。

この「アメ風呂」も、人の心理を上手に商売に繋げているものだが、

素敵な人達と出会わせてくれた場所でもある。

仕事でネット関連を立ち上げる際も、かなり参考になった。

様々なSNSを利用する中、ほっと一息、実家に帰ってくるような

感じがある。

「見て見て!」「聞いて聞いて!」という煩わしさがあまりなく、

気が向いた時に日記を綴るような雰囲気だ。

なので、基本、落ち着いて腰掛けてPCに向かっている時にしか

アメ風呂に浸かる気分にはなれず・・・・悲しいかな遠のいている。

 

 

そんな近頃、PCやスマホにどこかうんざりしながらも、

スマホのカメラとしての性能の良さに虜になっている。

特に、愛犬の目線から見える世界が、スマホを通して手軽に見られることに

今頃気がついた。

更には、愛犬さえも知らない、虫レベルの世界も。

 

(地震を感知すると、この位置に。頑丈なテーブル下の中心部。

それ以外は、ここで家族の足元を観察していると思われる。)

 

(飼い主が座っていない時は、決まってその椅子の下。顎をのせるのにも

ちょうどよい。この位置にいるときは、ややくつろいでいる。)

 

(虫レベルの視点。小型犬も怪獣レベルに。)

 

 

「愛の視線劇場」

 愛犬が何かを発見!

 ピートさん!見つめ合うふたり。

 にゃは~💛💛💛

 

 

こうして愛犬の視線を追ってみると、

ほんとうにいつも家族のことを見守ってくれているんだな・・・・と

改めて感じる。