捨てる神あれば、拾う神あり | 駿河堂のブログ

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オルタナ?メディア、もう一つの視点

 

 

「この、ハゲ!」

 

・・・・なぜだか、この言葉で目が覚めたような気がした 目 。

 

以前から、なぜ人は「ハゲ」を笑い、貶(おとし)めるのかが

疑問でならなかった。今だにそうだ。

子供達が笑いネタとして「ハゲ」混じりの替え歌などを歌っているのを

聞いたりすると、なぜそんなにハゲがうけるのかと、考えたりもした。

 

駿河堂は、このアメブロで・・・・

どこまで自分の思ったことや考えたこと、興味のあることなどを

表現できるのだろうかと、自分の過去の整理と、やがて実現するで

あろうマガジンの練習などを兼ねて始めた。

だが、

昨年後半から今まで、かなり多くのまとまった想いや考えが

頭の中でしっかり文章化されていたにもかかわらず、

キーボードをたたく気力がなかった。

いや、

気力がなかったのではなく・・・・

その文章にはどこか怒りが満ちていたので、発信してはならないと

無意識に抑えていたようにも思える。

 

SNSというのは、楽しくもあり嬉しくもある反面、恐ろしくもある。

「どうせ誰も読まないから」

などと思っていてはいけない。

むしろ、誰かに読んでほしいから、共感してほしいから書いている

ことを忘れてはいけないと思っている。

しかしながら、

自分の他に対する「怒り」という感情表現は、共感される場合も

あるだろうが、怒りの矛先と思われる「他」にあてはまる人や事象を

傷つけてしまうことにもなりかねない。

自分自身への怒りならまだしも・・・・。

 

程度の差はあるにせよ、

「この、ハゲ!」と同じ次元なんだろうと思う。

 

 

(怒りの逆襲もありうる)

 

 

怒りは、大概にして良い結果をもたらさない傾向にある。

怒りにまかせると、暴言、暴力などといった破壊的な行動をとって

しまいがち。

相手も自分も怪我をしたり、傷ついたり、最悪は法律に触れてしまう

場合もある。

 

怒りは、自分でおさめなくてはならない。

特に、大人であるならば、なお更だ。

どうしても怒りを抑えられない場合は、病んでいると思った方が

よいかもしれない。

 

自分にとっては一番大切にしている仕事を立て直すために・・・・

数か月、悶々としながらも必死だった。

風体に危機感がないせいなのか、言葉が足りなかったのか

必死だとは思われていなかったかもしれない。

・・・・途中で一人になってしまった。

捨てられたような・・・・

最初は悲しいような虚しいような気持ちが、次第に・・・・

まともに扱われていなかったのでは、という怒りのようなものに

変わった。

怒りを感じることは、とても苦しいものだったゲッソリ

だが、

ごくごく僅かな人達が、救いあげてくれた。

しばらくの間、自分と、その僅かな人達だけを信じて、集中した。

 

今、

やっと少し落ち着いて、こうしてアメ風呂に久しぶりにつかっている。

もう、少し前の苦しい気持ちはほとんどない。

 

もし、未だに救われずに苦しいままでいたとしたら・・・

病んで暴言を吐いていただろうかドクロ