芸術作品やイベントには、大概「題名」がついている。
「題名のない音楽会」という番組があるが、これ自体が
題名になっている場合もある。
実に・・・題名はないが、約50年に及ぶ息の長い番組となっている。
駿河堂はある時、自分の撮った写真の中に、不思議な画像を見つけた。
自分は現場にいたのだから、どんな場面なのかはもちろんわかる。
だが、着ぐるみの中の自分が・・・・
おもしろおかしく誘惑してくるので、手が勝手にその写真を少しだけ
加工した。
さて・・・・
この作品に題名をつけるとしたら、なにが良いだろう・・・・
① 「科学捜査班」
② 「働き者と、怠け者」
③ 「静かなる対決」
④ 「デッサン風景 ~横たわる人を描く~」
⑤ 「父ちゃん、寒いよ・・・・。 今、障子はってやるからな。」
・・・・真実は一つなのだが、題名によってはいかようにでも解釈可能な
作品となっている。
一番のポイントは恐らく、横たわる人が「何をしているか」ということだ。
この解釈によって、この作品の題名が決まってくると言っていいかも
しれない。
「解釈」というのは、人によって違うから面白い。
その解釈をあらゆる方向から予想できる人は、人の心理を操作する
ことも可能かもしれない。
また・・・・
良い方向に向かう解釈だけではない・・・・。
ネガティブな解釈や、誤解によって、悲劇をもたらす可能性もあるかも。
あるいは・・・・
良くも悪くもミックスされて、悲惨な現場にもかかわらず、前向きな
解釈をされたりすることも・・・・
こういう時に、より正しい解釈をするのには、何が必要なのだろう。
「観察力」と、冷静な「客観性」だろうか。
幸か不幸か・・・・
主体性が「枯渇」している駿河堂には・・・・
客観性と野生の勘しか残っていないのだが。
なにせ本体これですから。
この本体、とある筋の情報によると・・・・
主体性を示すために、反撃に出るらしいとのことだ。
かなり近い将来、このゾン美術館でご紹介できるかもしれない。


