様々な状況がわかって、落ち着いてきたようだったので、
駿河堂は、父(ピートさんの祖父)に連絡をした。
今年の母の日と父の日が、自宅リフォームのどさくさで
何も贈り物ができなかったため・・・・・
リフォーム&引っ越し完了(でもまだ断捨離のどさくさだが)した
こともあり、夏の美味しい味覚を贈りつつ・・・・
ピートさんの近況を連絡したのだった。
そうしたらすぐ、
贈り物の御礼とともに、ある方の住所がメールで送られてきた。
その方というのは・・・・
駿河堂が小学校低学年の頃、米国からホームステイにこられた
美しい女子大学生の方だった。
その記憶は鮮明に残っている。
当時は、明治生まれの祖父と、大正生まれの祖母が健在で、
親子三代(プラス犬一匹、ヤギ一頭、兎など)が共に暮らす家だった。
その美しい米国人女性は、
幼い駿河堂の目から見ても、清楚で知的で優しい方だった。
夏休みだったこともあって、いろんな英単語を教えていただいたが、
その落ち着いた声のトーンと、優しい微笑に魅了された。
やっぱり、今思い出しても、ネイティブな方の発音は・・・・最高だ。
今や米国の・・・・
ブランドショップやギャラリーの集う「米国の銀座」に会社を構える
セレブリティな方となっている。
父から連絡のあった会社住所やメルアドを、そのままピートさんに伝えた。
その時、駿河堂には・・・・野生的な「確信」があった。
「ピートさんが会いに行けたら、きっとお喜びになる」
(ロックフェラーからのマンハッタンの眺め)
・・・・それは・・・・
ピートさんも会ったことのない曾祖父と曾祖母、そして祖父母、叔母と母
・・・・そしてその、曾孫、あるいは孫、あるいは姪っ子や子供であるピート
さんがその時代を超えて、歴史を携えてやって来るのだ。
その方は・・・我家に留学したために、その家族4代をも知ってしまう
のだ・・・。
おそらく、嫌われてはいないハズなので・・・・
きっとお喜びになると考えた。
マンハッタンまで語学学校のお友達と一緒に来て、
皆に激励されて、独り・・・・待合わせのギャラリー(その方の経営)に
向かったピートさん。
米国の銀座は、日本の銀座とは・・・・規模が違うし、ストリートも
いくつもある。
迷ってしまったピートさん。
それは日本で道に迷う感覚とは、大きく違う。
「心細い」では済まされないものがある・・・・。
日本のように自動ドアなども少なく、ギャラリーなどはインターホンを
押さなければ、ドアすら開かない・・・・
やっとたどり着き、インターホンを押して・・・・
ギャラリーのスタッフの方がわざわざお迎えに来てくれた。
不安でいっぱいになっていたピートさん、
その方にお会いするやいなや、ほっとして泣いてしまったらしい。
(それを聞いて・・・駿河堂も泣いてしまった。)
(その期間のギャラリーでの展示は、日本人アーティストさんのものだった)
ギャラリーのスタッフさんの中には、四国に留学されていた方も
いらして、皆さん、日本語が話せる。
しかも、無愛想(どちらかというと怖い顔)な人が多いと感じていた
NYで、やっとにこやかで優しさにあふれる善き人達に出会えた
ような、そんな気がしたらしい。
その方は、昭和な我が家にホームステイされていた頃の写真を
用意してくださっていた。
ピートさんに、駿河堂の方から約20枚ほど少し昔の写真は送って
おいた。
ピートさんは・・・・
若く美しいその方の隣で、「やせガエル」と言われていた頃の
ふざけた表情をして写っている駿河堂を見てしまったらしい・・・・。
(過去はもう変えられない・・・・)
(オードリー・ヘップバーンが好きなピートさん。子供が独りで入れるような
お店ではないため、一緒に行っていただいた。
「お店に、オープンカフェがなかった」・・・・そう、ティファニーで朝食を
食べるには、勝手にお店の外で立ち食いをするしかないのだ)
その日、学校の寮に帰ってきたピートさんは・・・・
とても幸せそうだった。
「今度は家に来てね」
とお誘いを受けたそうだ。
「来年は、おじいちゃんも一緒に・・・・皆で会いにいこう
」そうだね・・・・
みんな元気なうちに、会いに行こうね。
電話をきった後・・・
その日は嬉し涙が出た。



