西宮市長の選挙は興味がないので、毎回、西宮太郎と書いているが、四年前の西宮市長選挙はなんと書いたかは忘れてます。
殺すぞ…と言った西宮市長。
もともと支持もしてないし、反対派でもなく、全く西宮市には興味のない、鳴尾村の住人なので、人ごとですが、ただ、成人式のお話はとてもいい内容かと思います。
【市長として出席させてもらう、最後の成人式でした】
新成人の皆さん、おめでとうございます。
また、ご来賓の皆様におかれましては、
お忙しいなかご臨席を賜り、誠にありがとうございます。
また、これまで、この成人の日のつどいを準備してこられた
実行委員のみなさんのご努力に敬意を表します。
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さて、新成人の皆さんは、もうとっくに有権者でもあり、
すでにお仕事なさっている方、お子さまおいでの方もいらっしゃいますが、
世間では「若い」と扱われがちです。
ですから、年上の人からのアドバイスをしばしばお受けすることになります。
それは、もちろんみなさんのへの愛からくるモノではありますが、
ハタチのみなさんが大事にすべきことは、
必ずしも年上の人のアドバイスではありません。
たとえば、年上の人たちが「無理だ・やめておけ」と言ったりします。
その人は、あなたがその挑戦に破れて失敗すること、
そして、その失敗があなたを大きく傷つけることを心配して
そう言ってくれているのです。あなたへの愛ゆえにです。
彼は彼の経験上、あなたの挑戦が失敗に終わると思っているのです。
でも、その人が「無理だ」と言うのは、
「その人にとって無理」だっただけで、あなたには可能かもしれません。
その人の限界より、あなたの限界がもっと遠いところにある可能性は
じゅうぶんにあります。
また、たとえその人の言うように、あなたが失敗したとしても、
その失敗したところから、次の挑戦をすればよいだけの話です。
失敗して、傷ついて、だいじなものを失って、
そして、そこからどうするのかこそが、
あたらしい価値を生み出せるかどうかなのです。
経験に基づく先人の言葉が価値を持つことも、ときにはありますが、
彼らの言葉に束縛されることなく、
自らで判断し、新しい価値を創造することのほうが重要です。
自分で決断し、自分で挑戦し、自分で失敗し、自分で這い上がり、
自分で限界を超え、自分で常識を疑い、
自分で新しい価値を創造し、自分で恋をし、
自分で血と汗を流し、自分で幸せをつかむ、
自由と責任があるんだという希望を、
きょう成人式で新たにしてもらいたいと思います。
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私の親は戦中戦後に生まれた世代です。
彼らはぼろぼろの日本がどうやって立ち上がるのか、
ということを考えている日本に生まれ、育った人間たちです。
私は高度経済成長期に生まれた世代です。
私たちは右肩上がりに成長して先進国に仲間入りしたい、
ということを考えている発展途上の日本に生まれ、育った人間です。
親たちの世代は、安定や物質的充足こそが幸せでした。
高級車、ブランドバッグ、ハワイ旅行、ゴルフ会員権。
彼らは同じようなものを幸せの究極と規定してそれをめざしました。
それに何となく違和感をもった人も、周りがみんなそれをよしとするので、
それをめざさなくてはいけないような同調圧力を受けていました。
それがは、社会が安定していなかったし、物質的に充足していなかったからです。
一部充足している人が幸せに見えたから、それをめざしたのです。
一方のみなさんは、とっくに文化的に先進国となった日本に生まれた世代です。
私の親の世代や、私の世代が幸せだと思ってきたものと、
みなさんが幸せだと思うべきものは変わっています。全く別モノです。
私の親の世代や私の世代が幸せになるために必要だと思ってきたものと、
みなさんが幸せになるために必要なものは変わっています。
日本の治安はよくなり、物質的にも充足しました。
もはやそれを競うことが幸せとは言えなくなっています。
他の人よりちょっと高級な車や服を持つことがそんなに大事なのか、
みなさんは首を傾げることでしょう。
私を含む年長者たちが育つときに大切にされてきたものと、
みなさんが大切にすべきものはいっしょではないのです。
空気を読む、自分の主張を控える、言われたことをきちんとやる。
四の五の考えずに繰り返し同じことをやり続けることが成功に繋がる。
そういったことが何より重視された時代もありました。
そしてそれによって確かに日本は焼け野原から先進国に辿り着きました。
しかし、いま大切にされるべきものは、ほんとうにそうでしょうか。
いまのみなさんに必要なのは、
焼け野原から先進国に成り上がることではありません。
これまで重視されてきた価値観に遵うことは、必ずしも
みなさんの求める達成や幸せを勝ち取ることに繋がるとはいえません。
それに、彼らの考える幸せが前提としていたような、
年功序列の給料や、払ったより余分にもらえる社会保障制度は、もはやありません。
彼らの価値観に遵って生きていっても、
彼らが定義した幸せを手に入れるかどうかすら怪しいでしょう。
みなさんは、文明的に先進国になり、社会的に成熟した日本で大人になったのです。
この日本でどんな価値を生み出し、どんな幸せを生きるのかは、
自分で考えなければいけません。
「幸せ」のカタチが変わったのではなく、きまりきった「幸せ」のカタチなどなくなったのです。
何が「幸せ」なのかを自分で決めて、それを実現するために生きることが求められているのです。
指示を待たず、自分のあたまで考える。
既存の価値観を疑い、新しい価値に挑戦する。
それがみなさんに求められていることなのです。
私は昭和47年に生まれた45歳です。
ちょうどバブルが弾けたころに成人した世代です。
ほんとうは、その時代から日本は、共通テンプレの「幸せ」などない先進国になっていたのです。
ただ、戦後日本の発展と共に歩んできた世代が現役だったこれまで、
日本はなかなかその現実を理解しようとしなかっただけなのです。
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私の友人の元Jリーガーは、
「ジュニア期にはオトナが過剰に教えようとすると上手くならない」と言います。
「パスを待つな!もらいにいけ!」「ボールを取られたら取り返せ!」
日本には、試合中、ずっと怒鳴りっぱなしの指導者がたくさんいます。
でも、こういう指導者に育てられる選手は、
指導者の指示に反応して動きますから、指示なしには動けなくなります。
また、怒られることを恐れてチャレンジできなくなります。
そもそも、怒鳴られながらサッカーをするなんて楽しくありません。
いっぽう、育成大国と言われるベルギーでは、
試合中に指導者や保護者が指示を出せば即退場という規則だそうです。
オトナのやってほしいサッカーを押しつけて、彼らの芽を摘むのではなく、
自分で考えてサッカーを楽しむ選手を育てようと考えているからなのです。
ベルギーでサッカーをする子供たちに求められていることは、
規範に遵うことや、練習で習ったことを正確に実現することや、
指導者に従順であることではなく、
自分で考えること、挑戦すること、サッカーを楽しもうとすることなのです。
いまの日本のサッカーの指導者たちは
もしかしたら指示されて怒鳴られて、強くなったのかもしれませんが、
それがいまのサッカー少年たちにあてはまるかどうかは疑問です。
また私の友人の元プロ野球選手の指導者に、
「なぜ甲子園を驚かせたような選手なのにプロに入って成功しない選手がたくさんいるのですか」ときいたら、
彼はこう答えました。「コーチが潰すんです」と。
ほんらいプロに入るような一流の選手たちは、若くても自分のやりかたをもっています。
むしろスカウトはそういう選手を選んで指名しているのです。だから彼曰く、
彼らはプロに入っても自分のやりかたでやるべきだといいます。
ほんとうに迷ったりわからなかったりしたら、
自分が誰のアドバイスなら聴くのかを自分で見極めて自分で聴くべきだ、と言うのです。
どの若い選手にもアドバイスを求められない中途半端な指導者が、
自分をゆうに越えるような素材に手を出して彼の素材を潰していく、と彼は嘆いていました。
彼曰く、あるパリーグの球団では、
指導者が個別にある選手に指導することを固く禁じているそうです。
その指導者の独善的な指導が素材を潰してしまうからだそうです。
その選手への指導はどういうものであるべきか、
必ず指導者たちが議論をして選手と相談して決めるそうです。
これからのみなさんは自分でどのように練習し、成果を出していくのかを、
自分で決めてその責任をとっていく必要があるのです。
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何を自分の幸せと定義するのか。
自分はどんな考えかたに遵ってこれから社会で動いていくのか。
それを自分で考えること、それこそがオトナになるということです。
私には創れない西宮を、私には創れない日本を、私には創れない世界を、
みなさんには創ってもらいたいですし、
私には想像できない幸せで、人生を彩って欲しいと思います。
みなさんが、これまでの人たちには無理だったことに挑戦し、
新しい価値を創造できなければ、社会は発展しません。
みなさんは、
私たちの世代に発明できなかったものを発明し、
私たちの世代に救えなかった人を救い、
私たちの世代が実現できなかった夢を実現する人たちです。
みなさまの若さに対して、最上級の敬意を表します。
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じぶんごとで恐縮ですが、私はこの5月で市長を引退します。
26歳から19年間やってきた政治家人生で、
政治家としてやらなくてはならないことをやり切ったからです。
きょうを含めこれまで4回、市長として、
これからの世界を創る新成人のみなさんにメッセージをする機会をいただきました。
それはほんとうに誇らしいことでした。
ただ、私はまだ45歳ですので、これ以降に、
別の選挙に出たり、「元市長業」で食べたりするつもりはありません。
ぜんぜん違う分野に挑戦し、もういちど人生を楽しみたいと思っています。
いま私はみなさんと同じく、あたらしい挑戦を始めようという気持ちに満ち溢れています。
みなさんに負けずに、これまでの人に創れなかった世界をまた創りたいと思っています。
みなさん、がんばってください。
私も負けずにがんばります。
以上で、私の式辞とさせていただきます。
あらためまして、本日は誠におめでとうございます。