田中真紀子 | 毎日、毎日、渋谷から新宿・高田馬場の街を歩きながら、三河の宿で青春時代を過ごした人が大阪で第2の人生を夢見るつぶやき
もういらない…というよりも、はじめから必要ない。

よくもまあ、あの品性の欠片もない田中真紀子を、権力者の娘というだけで、持て囃すマスコミの軽薄さに呆れた平成の風物詩だったが、

マスコミの軽薄さと、マスコミそのものが、外務省や自民党のように息子の息子のそのまた息子を特別視する体質が、腐敗する伏魔殿かもしれないが、

伏魔殿というよりも、親子孫、息子の息子のそのまた息子に利権を継承したい体質。

それを解体しないといけないのが、知性だろう。

皇室は神秘な文化にまでなっているから、世襲の維持は、民族の歴史を物語るが、


息子の息子のそのまた息子に継がせたい親は、基本的に品がないし、信用しないし、組織を私物化している。

弟子や子分に継がせたい人も、利権を継承したいだけの古臭い体質で、カリスマ性はない。

そこが日本社会や組織の薄汚い一面だから、仕方ないが、

その体質を潰すには、新自由な競争社会になることだと思う。

競争社会は、金持ちの息子や権力者の息子のほうが一見、有利かもしれないが、

親の跡を継ぐ金持ちの息子や権力者の息子は、たいがい自立してないか、親の顔色を伺うヒラメだから、競争社会になれば、ひ弱で脆い。

親の跡を継ぐ息子や娘は、創造性もなく優秀ではないし、

親も親で自分の家族のことしか考えない組織運営を親バカでやっているだけで、周りの人たちは呆れて離脱する。

その究極の典型例が、野村監督親子だろう。

息子や娘を優遇する親は、親バカ以外なにものでもない。

田中真紀子を持ち上げるマスコミの軽薄さに対して、選挙で洗礼を浴びて、落選した。

田中真紀子総理論などを言っていたマスコミに呆れるが、

落選したことは、本当に民主主義の健全さを感じる。