竹中平蔵が歴史から学ぶことの重要性を言っていても、
それなりの教養のある人間には、歴史なんて創りものだということを知っているから、
いかに、この創りものを創作したのかの、経緯、意図、敵対者、勝者、狙い、などを分析して、
そこからこれらの手法をうまく組織や活動に利用しないさいということでしょうから、
歴史の解釈は多々ありますから、そこから自分に都合のいい組織や活動に利用できるように、理解、解釈していくのが、
経営者でしょう(~_~)。
歴史に真実や事実なんて求めても、無理ですし、すでに出来上がっている史実が歴史として生活に染み付いてしまっているので、
今更、歴史の真実を追求しても、学問の世界ではいいでしょうが、ダイナミックな社会生活では、
全く無駄なこと。
歴史は政治と同じで、創ったもので通す。
歴史と法律は数の力で創られますので、だから、歴史は法律と同じくらいに規範になります。
全て妥協の産物で歴史と法律は後世の人間が都合よく創っている。
この歴史の制作過程と意図を学ぶのが、竹中平蔵のいう歴史から学ぶことの意味だと、
駿河屋は勝手に理解しています。
だから、古事記や日本書紀は非常に古代万葉の時代の為政者が、どんな国家を作ろうかと考えて、歴史を創作したのかを学べます。
出雲がどのような存在だったかも為政者の考えがわかります。
真実は関係ありません。歴史は、為政者の考えを理解するものであり、神武天皇が120歳があり得ないとかは追求しても仕方ありません。
神武天皇がなぜ、日本の歴史書に出てきたのかが重要で、当時の為政者の考えがわかります。
120歳かどうかは些細なことです。
歴史は、時の為政者の考えを知るためのものです。
為政者による、組織に対する哲学でもあり、最大の組織論です。
その歴史観や組織論に反対するならば、堂々と革命を興せばいいだけです。