裕次郎さんの映画を観てても
お兄様である、慎太郎さんの本を読んでも
1番自分のアンテナが反応するのは『言葉』
丁寧やら、美しいやら・・・。
表現が出来ない事を自分の不勉強が成し得ているのだけれども・・・。
それとは少し違うかも知れませんが
歌の師匠に言われて来た言葉を
毎日思い出すのです。
『歌い手で言葉を軽んじるとは』
現代はSNSで自分の『気持ち』を書ける。
そこに『言葉』があるのだろうか?
例えば、靴を履く自分がいる。
その靴を、買った店に運ぶ人がいる。
その靴を作った人がいる・・・。
そこに何かを感じる事が我々の『人情』であり
人種が歩んできた『歴史』に礎があり
そこに『音楽』が出来上がり
それそのものの『気持ち』が大切で
それを伝えるものは『言葉』だと。
綺麗なものも、人間の愛憎も
芸術に昇華出来るのが『歌』なのだ。と
しかしそれは珍しいものではなく
生活に存在し続けるものだと。
それが希薄になった時
いわば時代の流れで言葉が壊れて行ったとしても
自分は自分の『本分』に努めたい。
・・・変なコラムみたいなブログになっちゃいましたね。笑
お兄様である、慎太郎さんの本を読んでも
1番自分のアンテナが反応するのは『言葉』
丁寧やら、美しいやら・・・。
表現が出来ない事を自分の不勉強が成し得ているのだけれども・・・。
それとは少し違うかも知れませんが
歌の師匠に言われて来た言葉を
毎日思い出すのです。
『歌い手で言葉を軽んじるとは』
現代はSNSで自分の『気持ち』を書ける。
そこに『言葉』があるのだろうか?
例えば、靴を履く自分がいる。
その靴を、買った店に運ぶ人がいる。
その靴を作った人がいる・・・。
そこに何かを感じる事が我々の『人情』であり
人種が歩んできた『歴史』に礎があり
そこに『音楽』が出来上がり
それそのものの『気持ち』が大切で
それを伝えるものは『言葉』だと。
綺麗なものも、人間の愛憎も
芸術に昇華出来るのが『歌』なのだ。と
しかしそれは珍しいものではなく
生活に存在し続けるものだと。
それが希薄になった時
いわば時代の流れで言葉が壊れて行ったとしても
自分は自分の『本分』に努めたい。
・・・変なコラムみたいなブログになっちゃいましたね。笑