こうして、(経歴の続きです)2年半ほど英語学校に通ったものの、なにか自分の目指していたバイリンガルには程遠い現実を知った私は、“じゃあ留学しよう”と決意しました。



行き先は、、、アメリカは今更だし~、治安も悪そうだし~、カナダかオーストラリアにしよう[E:note]



カナダは寒そうだから~、オーストラリアにしよう[E:notes]



本当に簡単に、単純に決めました。それからオーストラリアで英語が学べる学校を探したのですが、当時は(1991年!)まだエージェントなどというものも無く、インターネットなどというものも普及しておらず、、、アルクの出版していた本や、旅行関係の本など、少ない情報の中から、手探りで探しました。



手探りというよりも、何しろ今みたいにウェブサイトで教師人の顔を見たり、校舎を見たりできるわけではないので、ほとんど想像の世界でした。



こうして、晴れてキャンベラ大学の英語コースへ通うべく、貯金を全てはたいて運命のオーストラリアへとやって来たわけです。



キャンベラの印象は?



すべて整然としている。



建築物がうつくしい。



緑がきれい。



静かで人がいない。



さみしい。。。



大きな期待を抱きキャンベラに来ましたが、とにかくさみしくて、人恋しくて、今思うとこんなキャンベラで出会った夫と恋に落ちたのも無理はなかったのかなあ。。。[E:heart04]



話を元にもどします。



キャンベラ大学の英語コースは、ラオスからの政府関係者がたくさんと、ヨーロッパの学生、東南アジアの学生、日本人も10%くらいはいたかなあ?充実していました。最初は自分のヒアリングの弱さを思い知り、自信喪失状態でした。



サマータイムも知らず、1時間遅れて学校に行ったり、、、ホームステイをしたものの、イマイチ楽しむことができませんでした。日本人学生を常に1人以上は置いている、というご家庭だったので、私が用意していった日本のおみやげは出せずじまいでした[E:sweat02] だって、もうすでに数え切れないくらいの日本のこけしや折り紙やいろいろなものが飾ってあったんです。。。



キャンベラには若者が楽しく遊べるような所はどこにもないので、当然ひまをもてあますことになり、まあ、目的どおりに勉強するには本当に良いところでした。たくさん勉強し、サマーキャンプなども楽しみ、予定の6ヶ月はアッというまに過ぎてしまいました。



ここで大きな転機が、、、



私の目指していた英語のレベルにはまた程遠い、、、でももう貯金もつきて、、、



そんな時、当時ゴールドコーストから遊びに来ていた夫(日本人、11歳年上、当時学生)と出会い、強く、このまま勉強を続けるべきだと薦められます。そして、日本の両親を裏切り、帰国をやめオーストラリアで勉強を続けることを決心したのでした。