たくさんの方々に支えられ、なんとか元気に暮らしております。
明るい太陽を感じながら、幸せを感じられるような日もあれば、絶望という名の崖っぷちを歩いているような日々もまだ多くあります。
(絶望的な日にはブログは書かないようにしています。何を書いてもネガティブになってしまうので。)
去年の今頃の幸せだった毎日の自分のブログを読み返すと、180度変わってしまった自分の生活を呪いたいような気持ちになることもあります。しかしどこかで、何も変わっていないような気がするのも事実です。
去年の “いま” も、今日の“いま” も実は何も変わらない “いま” なのです。
流れる時間は “まやかし” であって、いつもあるのは “いま” だけなのです。
最近そういった Power of Now 的なことを考えたり、本を読んだりしていて見つけたブログからの抜粋です。なぜかすごく同感したのでご紹介します。
いま、悩み苦しんでいる人に伝えたいのは、人生で起こることには何一つ無駄はなく、完璧なシナリオの中で物事が進んでいるということです。
たとえいま、自分を卑下したくなったとしても、それは本当の偉大さに向かうための準備に過ぎません。
僕もたくさんの悲しみを経験してきました。
人を恨み、自分を呪い、世界全体が敵に見えたこともありました。
何度も死ぬことを考え、ぼろきれの様な心を内側に隠しながら、かろうじて笑顔を作って生きてきました。
あらゆる出来事は過ぎ去っていきます。
いまの悲しみも、苦しみも、喜びも、みんな過ぎ去って行きます。
その中にあって決して変わらないもの、それが僕たちの本質にかね備わっている至福です。
それは現象界の幸不幸を超えた絶対的な次元に存在しています。
それはいまも、あなたの中に、本当のあなたとして存在しています。
(いまここ塾の阿部敏郎さんのブログから)
彼のいう絶対的な次元の存在を実感したくて、日々もがいています。でもこればかりは、もがいて見つけられるものでないことも認識しています。
もがくのをやめること、が第一歩のようです。
夫がその絶対的次元に進んでしまってから、数回、体験させてもらったような気がします。
ほんのつかの間ですがこの苦しみから抜け出し、安心と愛とやすらぎに満ちた世界を見せてもらいました。そこで私たちは共存していました。
その“共存”という感覚がどれだけ私の助けになったかしれません。
心の明かりが消えそうになっている私を助けるために送ってくれたメッセージだったのかもしれません。
ここ数ヶ月メッセージが来ないので、私が元気になってきている証拠なのかもしれません。
そう思うと、今日もまた心が折れそうよ~と助けを求める自分が顔を出します。
でもそんな自分で自分を落としているような (下心のある) 気分の時はメッセージは絶対届きません (笑)
なんだかわけが分からないことを書いていますが、夫の死はきっかけに過ぎず、私はずっと精神世界の扉を開ける準備をしていたんだと思います。
2009年度終わりのあるセミナーの瞑想セッションで真っ暗な切り立った山々が見えました。光のない世界でゾっとして、表現のできない不安を覚えた記憶があります。そして2010年度が明けたとき、前が見えないと感じました。そんな風に感じたのは始めてのことでした。
そのころはなんだか誤魔化して記事に書いていますが、今年の目標は “魂の開放” でした。不思議です。全てを知っていたのかもしれません。今年中にその目標に到達できるとは思っていませんので、これは生涯目標です。
*こんな内容のことをこの場で書くべきか、長い間悩んでいましたが、これも私の新しいダイメンションとしてまず自分で自分を受け容れることにしました。*