「THE FACT」
マスコミが報道しない「事実」を世界に伝える番組
http://thefact.jp/2015/336/
より転載
オウム事件20年 いま、明かされる地下鉄サリン事件解決の真実
今から20年前の1995年3月20日、オウムによる史上最悪のテロ、地下鉄サリン事件が勃発。死者13人、負傷者6,300人という大きな被害を出しました。地下鉄サリン事件をはじめとするオウムの犯行は、日本における宗教の印象を大きく失墜させましたが、オウム事件解決の裏にもまた、ある宗教団体の存在があったのです。
坂本弁護士一家失踪事件(1989年11月)に関して
当時、警察はオウムの一連の犯行に対して、あと一歩まで迫っていましたが、一斉捜査に踏み切れずにいました。
一貫してオウムの批判を続けた幸福の科学
1989年11月に起きた坂本弁護士一家失踪事件以降、オウムは全国各地でさまざまな事件を引き起こしていましたが、警察は数々の証拠を押さえながらも、オウムに対する強制捜査に踏み出せずにいました。当時、一部の宗教学者や評論家、マスコミはオウムを擁護しており、警察は宗教弾圧という非難を恐れていたのです。一方、宗教団体幸福の科学は、1991年から一貫してオウムの反社会性に対する批判を続け、その教義の誤りや危険性を指摘し続けました。
宗教界全体の信用回復をめざしていた
1989年11月に起きた坂本弁護士一家殺人事件について、幸福の科学大川隆法総裁は、1991年の段階で、この事件がオウムによるものであることを見抜き、オウム事件を追いかけていたジャーナリストに伝えていました。そのため、幸福の科学が標的にされることもありましたが、危険を顧みることなく言論によるオウム批判を続けていました。その理由は幸福の科学が、宗教界全体の信用回復を、宗教自身の正当な言論による批判でなすべきであると考えていたためでした。
目黒公証役場事務長誘拐事件(1995年2月)に関して
1995年2月28日東京都目黒区で、目黒公証役場事務長の假谷清志さん誘拐事件が発生。この事件をきっかけに、それまでの状況は大きく変わります。
事件現場を目撃し通報した幸福の科学職員
この事件の第一通報者は、幸福の科学職員でした。その通報者は、犯行当時の様子について「ワゴン車の向こう側から男性の叫び声が聞こえました。そして複数の若い男性の声がして、そのままワゴンの中に人がどんどん走り込んでいき、急発進をして逃げていった。これはちょっとただ事ではないということで警察に通報しました」と証言しています。
被害者救出への働きかけにデモ活動やチラシ配布などを行った
この日を境に、幸福の科学は假谷さん救出のための活動を開始。全国の有志が假谷さん救出を訴えるチラシ配付と街宣を決行し、3月18日には1万人のデモを行いました。同時に、躊躇する警察に対して、假谷さん救出のために一刻も早く強制捜査に踏み切るよう、強く働きかけを始めました。幸福の科学広報局課長(当時)の土屋倫美氏は、ラジオ番組「梶原しげるの本気でDONDON」(1995年3月15日放送)のなかで「これは人命がかかっておりますのでね。だからこそ、本当にオウムを疑っているのであれば、早く強制捜査等をしてほしいと。また逆にオウムも、自分たちが無実であるならば、やっぱり証明する必要は大いにあるというふうに考えています。このままでは本当に取り返しがつかないような状況になる可能性がありますので、ぜひマスコミの方も警察の方も、本当に假谷さんの救出のために頑張っていただきたいと思っております」と語っています。
政治家に捜査の必要性を訴えかけた
また、幸福の科学は、同会員で元大蔵大臣の故・三塚博氏ら政治家にも、人命救助のために捜査の必要性を訴えました。政治家との窓口を担当していた幸福の科学広報課次長(当時)の今井二郎氏は「警察といういわゆる行政機関だけではなくて、政治のほうのバックアップというか、警察庁の長官の上に政府がいるわけですから、政府のほうから要するに『GO』というのを後ろから背中を押す形がなければ、強制捜査はできないですよ。だから、これは『宗教的な弾圧』ということではなくて、要するに『テロ集団に対して断固たる対処をしてください』という申し込みですね」と話します。
誘拐事件の被害者救出のため独自調査を開始
オウムのサティアンがあった地域に急行した
オウムのサティアンがあった山梨県の旧上九一色村。かつて、この地域でサリンが作られていました。拉致監禁が行われている危険なこの地に踏み入るマスコミは、当時皆無でした。しかし幸福の科学職員は、假谷さん救出のために村に急行。独自調査を進めました。上九一色村を取材していた月刊「ザ・リバティ」編集部(当時)の中川建志氏は「多くのマスコミは、事件が起きてから慌てて入って来たんですが、我々はこの上九一色村でオウムは何か必ずやっているはずだと。あまりにもおかしいと。実はこの先のオウムの富士山総本部のほうには、ワゴン車が土に埋められているような現場もあったんですね。そこに我々が取材に入ろうとすると、やはりものすごい勢いでオウムの人間が妨害しに来る。そもそも、土の中にワゴン車が埋められているという事態が異様ですし、これは絶対に何かとんでもないことをやっているというのは、ここを取材していてやはり確信しました」と話します。
捜査を大きく進展させた証拠の発見
この調査の中で、オウムの科学技術省に所属する信者のポーチが発見されます。その中には、オウムが取り引きする業者のリストが含まれていました。上九一色村を取材していた幸福実現党総務会長(兼)出版局長の矢内筆勝氏は「コンビニのトイレの中に棚がありまして、そこにポーチがあったんです。中に身分証明書が入っていて、オウムの職員のものだとわかりました。そのほかに、住所録みたいな手帳が入っていたんです。そこに、おそらくオウムが取り引きをしているであろう、建設関係や化学関係といったサリン製造に関わるとみられる会社名が200ほど書いてありました。それで、その手帳を私たちは警察のほうに届けたんです」と証言します。
このリストを提出したことにより、警察の捜査は大きく進展。幸福の科学の活動は、批判を恐れる警察への大きな後押しとなり、上九一色村サティアンへの強制捜査が決定しました。
地下鉄サリン事件(1995年3月)に関して
しかし警察の動きは一手後手に回り、強制捜査を避けようとしたオウムは3月20日、地下鉄サリン事件を引き起こします。その2日後にオウム施設への強制捜査は決行され、5月16日の麻原代表逮捕によって、一連のオウム事件は収束に向かいます。
全容解明に多大な貢献をして警察から感謝状
オウムは、東京における大量無差別殺戮を計画していました。計画どおり東京上空でのサリン散布が行われていたら、一千万人の生命が奪われ、首都東京は壊滅していた可能性もあります。当時、国家公安委員長だった人物は、オフレコで「1年遅かったら、日本民族が滅亡するところだった」と言います。地下鉄サリン事件は起きてしまいましたが、もし幸福の科学が後押しをせず、強制捜査がさらに遅れていたら、被害は国家レベルになっていたかもしれません。事件を通報した幸福の科学職員には、全容解明に多大な貢献をしたとして、警察から感謝状が贈られました。
善悪を見分ける智慧の力こそ宗教の大切さの一つ
こうして、オウム事件は幸福の科学をはじめ、捜査当局、マスコミなどの力を集めて解決へと向かいました。ただ、その一方で、オウム事件を名目に宗教法人法が改正され、国家による宗教団体への監視が強まるなど、オウム事件は多くの傷を残しました。その傷の中でも最たるものは、宗教に対する偏見です。その意味で、今回のザ・ファクトでお伝えしたように、オウムの危険性をいち早く見抜き、それを指摘し、さらに実際に行動してオウム事件を解決に導いた宗教団体があったことは、忘れられてはなりません。善悪を見分ける智慧の力こそ、宗教の大切さの一つです。今回のザ・ファクトを通じて、宗教について改めて考え直すきっかけとなることを祈ります。