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より転載



道徳の教科化、まだ踏み込みが足りない(前編)&(後編)
2015.02.
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井澤一明
プロフィール
(いざわ・かずあき)1958年、静岡県生まれ。7年間で5000件以上のいじめ相談を受け、いじめ解決の専門家として各地の学校などでの講演やTV出演で活躍中。一般財団法人「いじめから子供を守ろうネットワーク」公式サイト http://mamoro.org

文部科学省は、2018年度から道徳を教科として位置づける。いじめ防止の視点から、現在進んでいる道徳教科化をどう見るか、いじめ解決の専門家である井澤一明氏の寄稿をお送りする。

◆ ◆ ◆

大津のいじめ自殺事件を契機に「道徳」の教科化が進んでいる。2月4日には、学習指導要領の改正案が公表された。重要項目は、以下のポイントである。

1.「道徳の時間」を教科に格上げし、「特別の教科 道徳(道徳科)」とする。
2.道徳の検定教科書を導入する。
3.生徒に対して数値などによる評価は行わないが「記述式の評価」は行う。
4.「読み物道徳」から「考え、議論する道徳」への転換を図る。
5.国や郷土を愛し他国を尊重すること。
6.いじめ問題への対応として「してはならないことはしない」ことと自尊感情を育む項目を追加した。


「考える」だけではいじめは減らない

まず、道徳教育を重要視するという姿勢は評価できる。現在の「道徳の時間」では、DVDやテレビを見せてお茶を濁すことも少なくない。一部では他の教科に振り替えられたりもしている。こうした現状を打破し、有意義な時間とするためにも、道徳を教科化する意味は大きいと言える。

ただ、子供たちは「いじめは悪い」ことだとは既に知っている。それでも、いじめをやめない。これが問題なのだ。自らを律する心が十分に成長、発達していないために、衝動的で動物的な行動を抑制できないでいる。

道徳教育は、行動に転化しなければ何の役にも立たない。単に「考える」だけでなく、腑に落とすところまで理解させ、知識と行動を一致させる「知行合一の道徳」を目指す。ここまで踏み込んだ道徳教育が望まれる。

学習指導要領は、会社で言えば経営理念にあたるものであり、日本の教育方針を宣するものである。しかし、改正案からは、重要な理念が伝わってこない。それどころか、解釈の仕方によっては、これまでと何も変わらないようにも読める。このままでは、単に「道徳の時間が確保される」だけに留まり、子供たちが「変わる」ところまで至らずに終わってしまうことも懸念される。


多様な意見が出ればそれでいいのか

現在の道徳では「価値観の押しつけ」に対する恐怖心からか、「善悪」の判断から逃げる授業が行われている。

例えば、「トイレに入っている時に外からはやし立てたり、ドアを蹴飛ばしたりすることをどう思うか」などという道徳授業をする教師がいる。その教師は、「ドアを蹴飛ばすのは悪い」という意見をほめ、「学校でトイレに行くのは悪い」という意見にもうなずく。最後まで結論を出すことなく授業を終え、生徒の発表が多いことをもって「良い授業ができた」と言う。

「モラルジレンマ」を取り扱い、白熱した授業を狙うことは、あまりに安直で情けない。

「多様な価値観を認める」とことを大義名分として掲げる一方で、「自分が良ければいじめをしてもいい」という自己中心的な価値観も浸透してしまう。「善悪」を峻別することと、多様な価値観を認めることを、同じ土俵で議論することは間違いである。

いじめを減らすためには、江戸時代の会津藩において藩士の子らが教えられていた「什の掟」にあるように 「ならぬことはならぬものです」を納得させる道徳教育が必要なのである。(後編へ続く)

◆ ◆ ◆
(以下 後編)

ここ最近、「人を殺してみたかった」という動機で起こった殺人事件が世に衝撃を与えた。昨年、佐世保で起きた女子高校生による殺人事件、今年一月に名古屋で起きた女子大学生による殺人事件である。

これらの事件を見るにつけ、道徳教育で「死生観」についても正面から向き合わなければ、意味が無いと分かる。「生命の大切さ」や「人を殺してはいけない理由」を子供たちに教えるには、道徳を超えた「宗教的情操教育」の視点が不可欠である。


「良心に基づく行動」に必要な宗教教育

今、子育て世代に『絵本 地獄―千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵』(風涛社)という絵本が大ヒットしている。読者から「子供が変わった」、「しつけに効果絶大」という声が相次いでいるという。「地獄」の様子という宗教的真実を知ることによって、「なぜ悪いことをしてはいけないか」という理由が、実感を伴って分かるようになるということだろう。

2006年に改定された教育基本法の第十五条で、「宗教に関する一般的な教養」の重要性がうたわれており、「道徳科」においても宗教的視点で教えることは推奨されるべきだ。それだけでなく、いじめ問題解決の鍵が「宗教教育」の中にある。

学習指導要領の改定案にあるように、道徳とは、本来「人間としての生き方」を養うためにある。人を傷つけたりいじめたり、泥棒や万引きをすることが「悪」だと教えることから逃げているなら、道徳とは言い難い。「自分のして欲しいことを人にする」「自分がいやなことは人にしない」といった、あらゆる宗教に共通する「黄金律」と呼ばれる基本的ルールを身につけさせなくてはならない。

本来、人が見ていなくても、「良心に基づく行動ができる子」を育てることは、学校教育の目的の一つのはずだ。

しかし、実際のいじめ相談の現場では、「誰が見たのか」「証拠を出せ」「やっていない」と言い張れば、逃げられると考えている加害者が多い。しかも、その親も一緒になって「証拠がないからいじめではない」と言ってはばからない。

良識ある人間を育成してゆかねば、社会は成り立ちがたい。東北の大震災における被災者の節度ある行動は世界中から称賛を受けたが、この精神を未来に引き継ぐのは、私達の責任だ。

文科省には「価値観の押しつけ」や「指導ではなく支援が必要」という声に惑わされず、未来を担う子供たちの「道徳心」を培うため、積極的に道徳教育に邁進してもらいたい。(了)


【関連書籍】
幸福の科学出版 『教育の法』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=49


幸福の科学出版 『子供たちの夢、母の願い』 大川咲也加著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1347


【関連記事】
2015年2月5日付本欄 「考える道徳」でいじめは減らない 新学習指導要領案を公表
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9166


2014年5月号記事 【最終回】いじめは必ず解決できる
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7551

【関連動画】
未来ビジョン179『井澤一明、いじめがなくなる未来を目指して』