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より転載

初詣で前に読む、手水や鏡が意味する「日本神道的幸福論」とは?
2014.12.31
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太陽神・天照大神を祭る、伊勢神宮内宮。

日本人の7割近くが無宗教を自称していると言われていますが、それでもお正月には神社に参拝する人は多いでしょう。

初詣は、神々に新年のご挨拶を申し上げ、一年間の無事と平安を祈願するという日本神道の伝統的な宗教行事。日本人の信仰心が深まる機会です。


日本神道にも教えがある

しかし参拝者の多くは、どんな神に対して祈っているのかを、あまり意識していないかもしれません。

日本神道の聖典にあたる「古事記」や「日本書紀」を読むと、主に信仰の対象となっているのは、日本の国づくりの元となり、日本の精神的支柱をつくってきた天照大神などの神々です。西洋国にとってのイエス・キリストなどにあたるでしょう。

ただ、「キリスト教には愛の教えがあるが、日本神道には教えがない」という人もいます。そんなことはありません。日本神道にも、人間を幸福にする教えがあります。

神社にあるものに関連する教えを、いくつか紹介いたします。


日本神道の幸福論(1)――心を清める

まず神社に入る時に、「手水舎(ちょうずや)」に立ち寄り、清らかな水で手と口を洗います。これは、俗世の穢れを嫌う神に対する礼儀で、自らの反省の心を深める儀式でもあります。仏教では、「苦しみの原因である煩悩を消す」という教えがありますが、そこに通じるものがあります。

一年の始めに、去年までのさまざまな出来事を思い出し、過ぎた欲や、自分中心の醜い心がなかったかどうかを反省し、洗い流すことで、心機一転、すっきりした気持ちで新年を迎えたいものです。


日本神道の幸福論(2)――感謝と調和

また、特に天照大神を祀っている神社には、御神体として「円形の鏡」が安置されています。

この円鏡に関しては、「天の岩戸隠れ」という『古事記』の逸話が有名です。

「太陽神である天照大神が岩の洞窟に籠られ、日本中が真っ暗になってしまった。その時、他の神がこの御鏡を岩戸の隙間から天照大神に見せる。すると天照大神は、鏡に映った光り輝く自分の姿に驚き、外に出てきた。そして日本に再び光が戻った――」

この丸い鏡は、「太陽の姿」を映すものでした。そこには、どのような「教え」が込められているのでしょうか。

大川隆法・幸福の科学総裁は、著書『日本神道的幸福論』(幸福の科学出版)の中で、以下のように述べています。

「『日の丸の姿』『太陽の姿』と『鏡の姿』を二重写しにした信仰が、日本の信仰のもとになるものであったのでしょう。日本人的幸福論として、『太陽のように慈悲と愛の光を投げかけ、発展・繁栄を願う神の心は、同時に、人々の争い、諸民族の争いをまとめていく和の心にもつながっていかなければならない』という考え方を持っていたと思います」

つまり神社の鏡は、「人々の豊かさや国家繁栄を願う、神の太陽のような心」「歪みや曇りのない鏡のように、穏やかで、争いのない心」を象徴していると言えます。


新年に味わいたい「日本神道的幸福」

穢れのない清らかで美しい心。太陽のように慈悲の光を投げかけてくれる存在への感謝の心。他人と調和していこうとする心。こうした心が持てたときが、日本人として、何とも言えない幸福感を感じる瞬間ではないでしょうか。

皆様も、新年の初詣の機会に、日本神道的幸福感を味わってみませんか?(真)

【関連書籍】
幸福の科学出版 「『日本神道的幸福論』日本の精神性の源流を探る」 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1262

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2014年11月号記事 世界宗教に比肩する日本神道の高みに迫る 「日本神道的幸福論」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8475