くっ、またしても俗事が、行方を阻みました。

今日は、整体の外科に行ってきまして、えぇ、その後俗事を片付けようとしたんですが。

いや、俗事は片付いたんですが、その代わりガンプラとITのお勉強が出来ませんでしたね。

おのれ俗事め、やはり、アルバイト雇わないとダメか・・・

家事全般、家の中がジャングルでも卒倒しない人、時給1,600円ですな。

 

 

ところで、本日久方ぶりに電車に乗って思ったんですが。

はい、何カレーだっけ(爆)?

ま、でも美味しいんです、本当はいつものお店の唐揚げ定食にしたかったんですが、14:30でラストオーダーとのことで、入れませんでした。

こちらはスープが売りで、これとかぼちゃスープが付いてきたんですが、やはり自炊のご飯とは比較にならないんです。

で、これは写真でお伝えしてますが、当然実際に食べる時には味覚と嗅覚が入ります。

皆さんはブラウザ越し、画面越しに、視覚の情報しか入りませんが、私は味覚と嗅覚も使って味わう訳です。

 

もう一つ例えを出しますと、星空とか風景写真とか、見事なものを見るとします。

が、実際に行けば当然全然得られる刺激は違います。

ブラウザ越しに幾ら画像を見たところで、実際に行くと比べれば、まるで別物である訳です。

 

で、この刺激を得られないと、人間は退化していくと思う訳です。

人間と言うか、脳みそですかね。

老人がボケる原因の一つかも。

 

ですので、体調不良でお家に籠って過ごす、と言うのは本質的に人間本来の過ごし方ではない、と思った訳です。

五感をしっかり使って生きていないと、多分何かしら退化する、と。

私は長い間この状態でしたので、かなり退化しているはずで、そのためには刺激が必要だと思った訳です。

それを小池禍でひたすらシャットアウトされてましたが、そろそろそれも終わりか?

 

因みにですが、「外出出来て家事が出来て、ブログ書いて性欲もあるなら、それはうつ病じゃないじゃないか」と言う突っこみがあると思いますが、だから治したんです

ちゃんと原因を突き止めて、対策打って、まだ完全ではないですが栄養がちゃんと脳みそに回り始めたので、家事もこなせば時間配分も計算して行動出来る訳です。

当然再発もあり得ません。

再発したら、それは原因が間違っていた、と言うことになりますので。

 

そして、今はノブ様も書けると言う訳ですw

 

前回までの「織田信長は天才か」!

Previously Is Nobunaga Oda Awesome? in Owari (Numbersは、Season4に突入。新たなゲスト出演は、Dr.マルッチ消防士サンディ(共にER)!Dr.ルイスとかDr.プラットも出てくれませんかね?Dr.ロスが出たら出演料で番組破産するかもですがw)

 

 

1. 信秀死亡(完了)

2. 平手政秀死亡(完了)

3. どいつもこいつも裏切る(完了)

4. 斎藤道三(完了)

5. 優秀な部下達 - 滝川一益&豊臣秀吉(完了)

6. 村木砦攻略戦(今川義元前哨戦)(完了)

7. 清州織田(大和守家)滅亡編(完了)

8. いきなり隠居(斎藤道三死亡編)(完了)

9. 稲生の戦い(織田信勝死亡編)(完了)

10. 織田伊勢守家&斯波家追放編(完了)

11. 足利義輝編(完了)

12. 足利義輝謁見編-今川義元討滅令(完了)

13. 今川義元編1(桶狭間の合戦前)(完了)

14. 桶狭間の合戦前の復習補足編(前回)

15. 今川義元編2(桶狭間の合戦 謀将・織田信長)(今回)

16. 今川義元編3(桶狭間の合戦)

 

1. 謀将

2. 釣る

 

 

1. 謀将

戦国時代に、軍神と呼ばれる武将が居ました。

このブログでも度々取り上げている、上杉謙信です。

誰もが認める、戦国最強の・・・武将じゃないんですよね、なんて言えば良いんですかね?

領土が要りません、って言うのは、戦国時代の存在として反則なんですがね。

 

謙信の合戦の中で、有名なのが第四回川中島合戦です。

謙信妻女山に出陣し、信玄八幡原に着陣したら、実は信玄は「お前は既に死んでいる」状態に追い込まれていた、と言うとんでもない合戦です。

海上智明氏いわく、「信玄があそこまで見事に引っかかる、と言う事は孫子だろうが韓信だろうが引っかかる、あれはどうにもなりません」とのことで、それ故人類史上最強のお墨付きまで与えてましたが。

 

謙信は兎に角おかしいんです。

誰も真似できません。

1560(永禄3)年、つまり桶狭間の合戦と同じ年の2月、これも創作疑惑があるんですが、佐野昌綱が守る唐沢山城北条氏政が3万の兵で押し寄せました。

佐野側は3,000人程度で、このままでは落城は必至。

と言う事で、あろうことか謙信は12~40騎で唐沢山城に入城したそうです。

当然昌綱は感激して迎え入れます(この数年後から、昌綱は度々謙信を裏切ります。まぁ、上杉北条の間に居る、と言う時点でそれはしょうがないんですが。)。

 

この時北条方は入城を茫然と見送った説もあれば、激戦になった説もあります。

そして、この後関東の国人衆がこの話を聞いて、何と10万の軍勢となって押し寄せた説があります。

これが本当かどうか、分からないんですが、結論として唐沢山城は落城せずに北条氏政は撤退しています。

10万の軍勢が来ても、来なくて3,040人で追い返しても、何かおかしい事には変わりありません。

 

謙信の居城、春日山城は「一山、一館、一寺」の一山とされていて、難攻不落の名城の一つに挙げられています。

一館は大友氏臼杵城、一寺は石山本願寺です。

謙信の例は多々あるようですが、要するに「誰も真似ができない程(ぶっちゃけその場にいても信じがたい程)の奇跡を起こし続けている」時点で、人間の範疇を超えているかと

ですので、軍神です。

 

一方で、当時中国地方には謀神と呼ばれた武将が居ました。

毛利元就です。

そもそも、元就は初め毛利家の後継ですらなく、分家の身の上でしたが、兄が亡くなり、甥の後ろ盾が亡くなり、甥が亡くなり、反対派の重鎮も亡くなり、尼子の重臣も何故か反乱を起したとされて亡くなり、大内義隆の重臣、陶晴賢も何故か反乱を起した挙句両者とも亡くなり、気が付けば150万石近い領土に影響力を持つ大大名に。

 

明らかにおかしいんですよね。

三本の矢(サイダーじゃありません)とか、百万一心とかの標語は残ってますが。

元就をちょっと調べたことがある人は、直ぐに「これはおかしい」と気が付きます。

余りにも、都合よく周りの重要人物が亡くなります。

それも、老若男女(女は居ないかも・・・)問わずです。

 

しかし、証拠は一つもない。

一説では、元就はノイローゼになる程、「周りの人たちがどれだけ毛利家=元就を恨んでいるだろうか」と悩んだらしいですが、周りの人たちは悩む理由が分からなかった、とか。

最側近はもしかしたら知っていたかもしれませんが、それも証拠は何もないので今は分かりません。

悪名をほとんど残さず、150万石もの大領土を得る、と言うのは尋常なことではありません。

故に、彼は謀神の異名を持ちます。

 

一つ格が落ちて、謀聖。

謀でもって奇跡のような仕業を成し遂げる。

これは尼子経久を指します。

元は出雲の守護代で、出雲半国に影響力を持っていました。

ところが、謀略、戦略の限りを尽くして、気が付けば石見、出雲、伯耆、安芸、備後、備中とざっと80万石近い領土に影響力を持つ存在に。

 

その後大内家の逆襲を受けますが、絶妙なタイミングで義興がお亡くなりになって、再度逆襲をかけます。

結局、毛利元就の討伐戦がきっかけで、転落への道が始まってしまいますが、しかし一代でここまで領土を広げたのは、当時では凄いことです。

尼子氏は殆ど分かりませんが、後継ぎの晴久がもう少し器量が良かったら、もしかしたら毛利氏の台頭は無かったかもしれませんね。

 

一方、軍聖というべきものがあれば、それは武田信玄でしょう。

信玄は単純に武の人ではなくて、謀略も使うので微妙ですが、何しろ周りを今川、北条に囲まれ、やっと信濃を制圧して北に行こうとしたら、よりによって上杉謙信が待っていました、と言う、実に過酷な環境で生き抜いた人です。

甲斐なんてたった24万石程度、信濃攻略は必須でしたけれど、それも尋常一様には当然いかず、ひたすら苦心惨憺して手に入れてます。

そのお陰で、戦国の孫子と言う異名が確定しています。

 

軍事良し、内政良し(甲斐だけ、と言う説もあります)、謀略良し(真田家の忍者の元祖ですね、ただし上杉家の忍者(軒猿でしたっけ?)には歯が立たなかった模様)、外交良し、と、今で言えばオール5の人です。

周りが悪すぎましたね、信玄は。

 

そして、更に格が一つ落ちて軍将と言うのが居れば、それは斎藤道三、北条氏康(氏政の方が適当かも)や朝倉宗滴、武田勝頼、島津義弘、等々多数いるでしょう。

後には加藤清正、本多忠勝なども入るでしょうし、浅井長政も多分ここです。

軍隊を率いての戦いが滅法強い、名将と呼ばれる人たちです。

残念ながら、織田信長はここには入りません。

多分、信長が兵隊を率いて彼らと戦えば、確実に負けます。

そもそも尾張兵が弱い、と言うのもありますけれど、信長は軍事の才能は本当にそんなに無いのです。

 

では、謀略で軍将に当たるものは、謀将。

斎藤道三武田信玄、北条氏康はここにも入るんですよね。

後は豊臣秀吉、黒田孝高(官兵衛)、真田昌幸、宇喜多直家、伊達政宗、等々。

錚々たる面子です。

 

信長がここに入るか?と言えば、謀略全般と言う意味では入らないと思っています。

信長は本質的には革命家であり、その分野においては測定不能、軍と謀の上杉謙信、毛利元就、下手するとそれ以上です。

世界的に見ても屈指なものがある、と思います。

人格的、性格的に問題があるので、アレキサンダー大王李世民、ジンギス・カンのような覇王には成れませんでしたが。

しかし、信長には一つ、良く分かりませんが何故か相手が引っかかる謀略を持っていました。

 

 

2. 釣る

これ、本当にどうやっているのか良く分かりませんが、それを追求しても見たくて、桶狭間の合戦は長引いてます。

「釣る」。

これに引っかかった相手は、何故か戦場にノコノコ出てきて、その結果滅亡への道を辿ります

 

織田大和守家も、よく考えるとおかしいんですよね。

「戦国時代は下剋上の時代だ!」と良く言われますが、これは嘘です(爆)。

そんなことは認められません。

なので、斎藤道三は悲惨な最後を遂げました。

基本的に、戦国時代は権威、家柄、血筋、などが重視される時代です。

能力主義だったのは、織田信長だけです(秀吉はもう既に怪しいし、家康は違います)。

 

なので、守護代織田大和守家が、守護斯波義統を討つ、なんてのは本来あり得ないことです。

もしやるなら、息子共々討ち果たして、今川家に下る、とかなら分ります(でも将軍家が許さないとダメですねー。正当な理由なしに将軍家がそんなことを認めるとも思えません)。

しかし、息子の義銀(よしかね)が居ない時を見計らって、暗殺しています。

そんなことしたら、義銀信長の元に逃げ込んで、信長が大義名分を持って討ち果たしに来る、なんてことは分かり切ってます。

し、実際そうなりました。

ですので、この件は非常に臭いです。

 

今川義元は釣られた、と言うより自分で出てきたんですが、元々信長は一生懸命釣ろうとしていたようです。

信長村木砦山口氏への謀略等々、あらゆる局面で過剰に今川を叩いて、挑発してました。

義元は見え透いた挑発に呆れていた、と言う記述も載っていましたが、どちらにしても上洛戦のため義元は出てきて、見事に首を落とされました。

武田勝頼は本来やる必要もなかった決戦を挑み、結果として武田家滅亡の遠因を作りました。

朝倉義景は戦場につり出されて、そのまま文字通り朝倉家滅亡になりました。

足利義昭に至っては、まさかまさかの室町体制滅亡になりました(朝廷信長を後継ぎに認めた時)。

 

信長の真骨頂は、革命家、政治家としての能力にある、と思っていますが、この釣る能力は異彩を放っていて、ちょっと調べてみたいと思いました。

釣る能力は、島津家の「釣り野伏」と言うのが有名なんですが、信長の場合は戦術単位ではなくて戦略単位で実施されているように見えます。

相手は戦場で負けるのではなくて、滅亡するからです。

 

と言う事で、謀将としての信長を取り上げて行きたいと思います。

次回以降ですけれどね・・・