妊娠6か月目にはいった。

毎日胎動を感じることを告げる妻の表情に特段の変化はないが、

その言葉の端々に希望の色が聞き取れるような気がする。

 

 

妻は34歳で出産をする予定。

 

その年齢の出産時

ダウン症のこどもを出産する確率は、

400-500人にひとり。0.2%-0.25%程度。

 

ダウン症を含めた、何らかの染色体異常を患って出産する確率は

200-240人にひとり。0.4-0.5%。

 

ダウン症以外の染色体異常の症状には13トリソミーや18トリソミーなど、

内容を調べるだけで「自分には関係ないやろ」と目を背けてしまうような疾患を伴うもの。

 

 

 

200人にひとりって。

全然可能性としてあり得る話やん。

 

 

うまれた子供の顔をみて、特徴的な顔つきであることって、めっちゃ簡単に想像できてしまう。

もちろん、その時の感情はあまり想像できへんけど。

 

 

全然可能性としてあり得る。

 

 

 

不思議な感じがするけれど、それを「リスク」と捉えていない自分がいて。

 

 

どんな子供であっても、その子供がぼくの前に現れることに感謝する、と「なんとなく」決心しているから。

いろんな感情はきっと涙となって溢れてしまうだろうけど。

 

 

 

 

でも。

 

事実の前に「なんとなく」は脆弱だと思う。

 

 

「しっかりと」備えたほうがいいと思う。

その理由を今日は言語化できないけど、、備えたほうがいい、っていう直感。

 

 

 

 

妻の心の支えでありたいから、かな。

染色体異常のこどもが生まれた事実に、

「その事実に感謝している夫」という事実が伴う出来事として

今回の出産を妻が認識する、ことをぼくがのぞむから

その認識が、きっと妻を支えるから

 

 

そう思うと、結局功利主義的に、ぼくは心の準備をしているのか。

ちゃうか、妻のためか。

 

それはええことなんちゃうかな、よくわからんけど。

 

 

「しっかりと」って何?

 

 

人のブログで、。

染色体異常の子供に関する情報

その子供に関わる人間の人生がどのように変わるのか

 

 

 

こういうことを調べる。

 

 

もし健常児がうまれても、ダウン症なんて「杞憂」やったなぁ、

と振り返らない自分でいれるかなぁ

それって、宗教的にありなんかな