妻とは1か月ほどまえから一緒に「コウノドリ」というドラマをみている。
産科医のドラマで、妊娠・出産にまつわるたくさんのストーリーが主題。
友人の助産師も薦めるほどかなりリアルな内容らしく、
妻は僕とドラマをみることで出産前の勉強にしたかったのだと思う。
そのドラマをみて無知だったぼくも少しは知識をもち、関心をいだくきっかけになった。
妻はいま19週で、胎動も感じているが僕はまだどこか赤ちゃんができたという実感がわかない。
ある回の内容が21トリソミー、ダウン症候群に関するものだった。
出生前診断で症状があることが判明し、その子の親が出産をどうするか迷うという内容だった。
2024年の正月、日本社会は悲しいニュースがあった。
石川県で大きな地震があり、1/14現在で、221名の死者がでた。
特に凄惨だったのは、妻とその両親、子ども4人が死んで、生き残った寺本さんという人だ。
彼は「なぜ私がこんなことに…」と涙を流していた。
このニュースがあり、そして21トリソミーのことを考えたとき、
今日という日は、自分は偶然の不運な出来事に苛まれなかった日、
「こんなことに」遭遇しなかった幸運な日なのだというふうに、
何気ない日々の幸運について考えるようになった。
僕と妻は出生前診断をしないことで合意している。
それについては十数秒の会話で合意が成立し、しっかり話し合いをしたことはない。
これまでの付き合いの価値観の中で、通じ合っているとわかっているからだ。
二人の合意は軽々しいものであるかもしれない。
妻のおなかで子どもが毎日成長し、やがて生まれてくることを思うと、
ダウン症の子どもが生まれた人のブログをみて、命の大切さについて書いている記事を読むと、
僕たち二人は命について十分に向き合えていないのかもしれない。
でもどんな子であっても、ダウン症の子であっても、
四肢の不完全なこどもであっても、唇がつながっていないこどもであっても、
出生から1年も持たない命であっても、
生まれてくる命の奇跡に感謝できるように、準備をしたい。
「こんなこと」というような出来事が僕たち家族にやってくるかもしれない。
そんな時に自分がしっかりしておきたい。
それで妻を、家族を支えたい。