あるボランティアでお会いした女性となんだか

ふかーい話になる。


私がヨガ教室をしていることから
話が
ヨガとは?
私が伝えたいこと

そしたら

『そんな風にお話ししてくれた人はじめて』

『父親の介護しているときにききたかった』

『講演会をやったらいいんじゃないか』


そんな風に受けとめてくださいました


でも人の言葉って
受け取る側のタイミングもあるんだとおもいます。


どんなにいいお話だとしても
『腑に落ちる』ときもあれば

あんまり響かないときもある

それはまだうけとるタイミングじゃないから。


人は経験が必要だから

私の話は

いろいろ苦労して自分なりに頑張って
でも疲れちゃって
それでもなんとか乗り越えて、、、


そんな経験があるから
気付けたことがすべて。

聞く側にもその経験がなければ
本当の意味でわかる訳がない

腑に落ちることもない。
 

だから
誰かが話す言葉が『腑に落ちる』ときは

また同じことを繰り返さないように

そのタイミングで出逢ったり話をきくことになっているのかも



スピリチュアルがあやしいイメージになっているのは
そんなふつうのことを
わざわざ特別なものみたいな感じにして
高額な講習料を取ったりしてるから。

だってこれめちゃくちゃいい商売になるからね。

自分と向き合うこともしないで
なにか幸せになれることはないか
みんな探してるから


都合のわるいことはききたくないんだよね


これ共依存でなりたってるからやっている側も
気付いていない場合が多い。



病気やケガ
なにかがよく壊れる

こういうものも
はやく気付いたほうがいいサイン。

顔にでるから
その人の笑顔に癒されるような雰囲気が
ない人には要注意

これが一番わかりやすい

その人自身が幸せじゃなさそうだから。

あとは服装
やたらとガチャガチャアクセサリーつけたり
センスのないいろんな色が入っている上下の統一感のないものとか

本人が統一されていない



『講演会やったらいいのに』

今は出逢った人たちに自然な形で
伝えられればいいとおもってる。

ブログで語ることもあるかな


ヒントになる言葉は
なにげないお友達との会話や
出逢った人との会話
本や雑誌、ネットなど
いたるところにヒントはある


それを受け取る側が
そのタイミングでなかったり
タイミングなのにスルーしてたり

受け取る側の問題


私も常に自問自答している

周りにいろんな事象があらわれるけど 
そんなのに振り回されない自分が大切だから。

誰かがうらやましくおもったこともあったり

誰かと比べてできない自分を卑下したり

何者かになろうと必死になったり

居場所をみつけようとしたり

そんなんいろいろ経験しましたわっ

経験して
自分が感じていることを
ちゃんと自分で受けとめてあげれるか

人のご機嫌とりより
自分のご機嫌とりよりだよっ

ということで
講演会は自らはしないです

今後なにか依頼があったり
そのタイミングになったらするのかも。 

今度、東京でこどもたちにヨガすることになって
今一度
私が伝えたいことを再確認している

ボランティアでの出会いと話したことが
それに繋がってた。

それをこどもたちにわかりやすくお話するだけだ