関根進医師が準強制わいせつ罪に問われた事件について、東京高等検察庁が上告を断念し、無罪判決が確定しました。

まず初めに、医療人の一人として、また本件を初動から注視してきた者として、関根医師とそのご家族、支えてこられた関係者の皆様に、深く敬意を表するとともに、心からの安堵をお伝えしたいと思います。
この事件は、医師一人の名誉と人生を大きく損なっただけではなく、平穏な家族の日常をも踏みにじり、健全な医療現場に無用な混乱と不安を与え、法と医療、そして社会正義の在り方を私たちに問いかけるものでもありました。

 

せん妄という「生理現象」への無理解から始まった悲劇
本件の発端となったのは、術後に生じた患者さんの「せん妄」でした。

これは極めて一般的かつ生理的な現象であり、術後の環境や身体的ストレス、薬剤などの要因により誰にでも起こり得るものです。

そして何より強調したいのは、「せん妄」という状態に陥った患者様は決して責められるべきではなく、このことにより無用な非難や中傷を受けることがあってはなりません。
問題は、「せん妄」に対する理解や検証を怠ったまま立件に踏み切った検察の対応にあります。

第一の問題:検察の理解不足と説明責任の欠如
検察は、起訴に先立って「せん妄」の可能性をどのように検討したのでしょうか。
① そもそも「せん妄」の可能性を認識していたのか?
② その上で「せん妄ではない」と判断したのなら、その根拠は何か?
③ 誰が、どのような専門的見地からその判断を下したのか?
これらの点について、検察には明確な説明責任があります。

医療的事象に対する理解が不十分なまま、有罪立証ありきで進んだ捜査と起訴が、結果として一人の無辜の人間を、そしてその家族を長期間にわたり理不尽に苦しめた事実は、決して看過されるべきではありません。


第二の問題:科学捜査研究所の検証体制とその信頼性
本件では、科学捜査研究所による鑑定・証拠管理にも重大な疑問が残ります。
鉛筆書き、消しゴムによる修正といった、証拠記録としての信頼性を損なう行為が捜査記録上に存在していたと報じられていますが、これは科学的捜査として到底容認されるべきではありません。
証拠の保全体制、記録の信頼性、再検証の可能性――いずれも不透明なままで放置されるならば、今後も同様のえん罪が再び起こる危険性を孕んでいます。科学捜査研究所の透明性と実証過程の堅牢性を高めることが急務です。


第三の問題:高裁第一審における拙速かつ不適切な判断
本件で特筆すべきは、高裁第一審において、状況証拠の蓋然性の低さ、科学的証拠の脆弱さ、証人供述の不自然さといった多数の問題点が存在したにもかかわらず、有罪判決が下されたという事実です。

この判決は最終的に最高裁で差し戻されるという異例の展開をたどりました。
なぜ、このような「常識」からかけ離れた判断がなされたのか。どのような思考過程で、誰が、どの証拠に基づいて結論を導いたのか。司法が社会的信頼を回復するためには、この過程の徹底的な再検証と、再発防止策の構築が不可欠です。


人為的な過ちがもたらした、あまりにも大きな犠牲
今回の一件がもたらした被害は、関根医師個人のものにとどまりません。彼の家族、同僚、患者、そして地域の医療全体にも大きな影響を与えました。これほど明白な悲劇が、検察・裁判所の「無知」「無理解」「無反省」によってもたらされた事実を、重く受け止めるべきです。
今なお、関係当局からの経緯説明や謝罪はなく、再発防止に向けた取り組みも具体化していません。このままでは、同じような事件が繰り返されるだけです。


「過ちを犯さない」ではなく、「過ちを認める」文化へ
日本の司法や行政機関には、「過ちを犯してはならない」という強い倫理観があります。しかしそれが、「過ちを認めない」という文化に転化してしまっているのではないでしょうか。
人間は、そして人間の営む組織は、過ちを犯し得る存在です。だからこそ必要なのは、過ちを減らす努力であり、過ちを認める勇気です。今回の事件が、検察・司法関係者にとって、過ちに向き合い、改善に繋げるきっかけとなることを、切に願ってやみません。

 


本件がもたらした数々の問題が、決して風化されることなく、より良い社会と司法のあり方を築くための礎となるよう、多くの目で検察・裁判所の今後のアクションを注視してまいりましょう。
最後になりますが、彼の無罪を信じて署名を下さり、また本ブログを応援して下さりときにせん妄の体験などをお寄せくださいました多くの皆々様に心からの感謝を申し上げます。