Valtari/Sigur Rós | Surf’s-Up

Surf’s-Up

音楽の話を中心に。時にノスタルジックに

Surf’s-Up
 Sigur Rós,通算6作目のアルバム。「残響」から4年ぶりということになる。その間ヨンシーはソロアルバム、またヨンシー&アレックス、映画のサントラなど精力的に活動していたわけだけど、個人的にはどうもヨンシーがソロで活動していることにしっくりと来ていなかった。


 それはもちろんクオリティーが低いということではなく、僕がSigur Rósという一つの「共同体」に寄せるものが大きいからだと思う。彼らの音楽に感じるものは、他のロックバンドとはちょっと違うところがある。なんか「バンド」って感じがしないのだ。生き方とか考え方とかそういうところで結びついていて、呼応しあって生きている「共同体」なんじゃないかと思うのだ。


 「Takk・・・」「残響」に比べると、プリミティヴな躍動感は完全に抑えられ、かつての静寂とした中にある普遍的な美をストイックに紡いでいるという印象だ。よく「( )」に似てるっていうのをネットで見かけるけど、個人的にはそれほど感じない。


 というよりは彼らの音楽には「こうしよう」とか「こんな風に」という表層的な意志ではなくて、「ここにあるべき」音の存在への確信が感じ取れるからだ。時は経ち、世界も彼らの人生も少しずつ動いていく中でそれを探求することは容易ではないだろうし、レコーディングもかつてないほど難産だったと聞くが、本当に素晴らしい作品だと思う。


 聞き所はたくさんあるけれど、印象に残るのはVarúðでのオーケストレーション。ここでの鳴り方は壮大と言うよりは、シューゲイザーでのフィードバックノイズの渦のような激情と陶酔のせめぎ合いのようである。Rembihnúturでの音響空間もかつてないほどラウドな感触があって、ロック的なダイナミズムに傾向しつつあるかのようにも見える。


 しかし、Valtari,Fjögur Píanóのラスト2曲は、かつてのファンなら「待っていました」と言わんばかりのアンビエント。で、これがまた素晴らしいというか、結果的にハイライトといっても良いような存在感があるのだ。それでも不思議なのは、こういうタイプの楽曲が、かつてなら冷え切った空気の中で、強い光を放っているかのような「強靱な美」を感じさせるところなのが、今作の中では実に暖かいというか、包み込んでくれるような柔らかい光のように感じられるところだ。これを「心地よい」と感じられるかどうかで、好き嫌いが別れるかもしれない。


 ★★★★☆(23/11/12)