人との距離感を調節するのが苦手だ。
基本的に「この人とは合いそうだ」と思ったら、あまり遠慮をしない。
その人を見かけたらガンガン話してしまうし、時間や場所を気にすることもあまり無い。
メールだって一日に2,3通送ることは珍しくない。毎日顔を合わせる人でも。
それ故に、今まで多くの失敗をしてきたことは間違いない。
知り合ってから20年以上経つ友達と、未だに時々メールのやりとりをしている。
僕「おまえ、『メールめんどくせぇ』って思うことないか?」
友「あるよ」
僕「じゃあ、教えろよ!」
友「その前に気づけよ!!」
僕「気づかねぇから教えてほしいんだよ!!!」
友「文章のテンションでだいたいわかるだろ?人の心と一緒。日本人ははっきり言わないの。だいたいさぁ、おま
えの文章長すぎて、時々読むのめんどくさくなるんだよ。会ったときに話すことなくなるじゃん。恋人に聞かせる
ような話を俺にすんなよ・・・」
おまえの話だって、十分長いよ。
結局彼が言うには、当たり前のことなんだけど「自己満足に陥るとメールは怖い」。
自分が良かれと思って、それを受け取っている相手が、いつでも喜んでると思うのはどうだろう?と。
そう言われると、返す言葉がなかった。
そんなやりとりを、ふと思い出した。だいぶ前の話である。
相手が心地よいと思う距離感を無視してはいけない。
話したり、メールするのも。そういうところに自信が持てない。
「嫌われたくない」志向が強すぎるからだと思う。突然変異型のB型なのだ。
相手のテリトリーを守り、丁寧な言葉で愛を育てていく
これが長く続くコツだと、美輪明宏は言ってたらしい。
ただ、この言葉は僕にとっては微妙だ。
「相手のテリトリーを守る」というのはよくわかるし、そうしないよう気をつけているつもりである。
しつこくメールをしないように、と心がけてるのもそのせいだ。
でも「自分のテリトリーを守る」という発想、これは好きな人に対しては全然無い。嫌な人が入ってくると凹むけど。
むしろ、ガンガン入ってきてほしいと思う。ノックもいりません。土足は困るけど。
だって、好きな人さえも入れないテリトリーって何だ?そんなたいそうなものはない。
基本、好きな人と自分の好きな世界を共有できたらと思う。ライブに行ったり、一緒に走ったり、自転車に乗りたい。
でも、おそらく大多数の人にとっては守りたいテリトリーが存在するのだろう。テリトリーと言うよりは「生活」か。僕抜きの生活。
そもそも言いたいことや伝えたいことがたくさんある質なので
話したり、メールが少なくなった分
最近は、ブログの更新が頻繁になってきました。
パーソナルな内容ばかりですみません。
今後、もっと増えそうな気がしますが。
昨日の夜そんなことを考えていた。
まさに「咳をしても一人」状態で。
咳が出るのをわかっていながら、ウィスキーを痛飲した。
くるりの「三日月」を聴きながら。
彼らも僕にとっては心地よい距離感にいるバンドだ。
このため息が 君に届けば
きっと誰よりも 悲しむのでしょう
街のざわめきも 行き交う船も
それぞれの想いを 乗せてゆくだけ
君と出会って 僕ははじめて
ひとりでこの街を 歩いてゆく
この淋しさを この淋しさを
どうかやさしさに変えてゆきたい
どうかやさしさに変えて届けたい
そんなわけで、今日はちょっと我慢している。
気を遣わせてはいけないから。
どこまで続くだろう?
でも、やさしさは、「届け過ぎ!」ってことはないよね。