人生にあと少しの余白を
ホヌア よーこりんです
こんにちは
実は、先週から体調をくずしていて
やっとブログを書くまでに復活しました
なんとなくしんどい
↓
腰の違和感、咳が出始める
↓
よもぎ茶飲む
↓
腸内大浄化
↓
デトックス風呂に入る
↓
今朝、ほぼ元通り
もちろん、わたしは腰ヨガやってますから笑
腰ヨガのプログラムをやったり、軽いポーズでゆるめたり、いろいろやりながら過ごしてました🧘♀️
いっそのこと、高熱がバーンと出たなら
1日2日でスッキリしたかもしれません。
が、50を超えるとなかなか高熱って出ません。
出せないらしいですね
子どもってよく熱出しますよね。
高熱出して解毒できるのは、体力がある証拠なんですよ
今日もまだ家でゆっくりして🔋
明日からはホットヨガ行けるかも
あー石垣でオリオンビールが飲みたい
さて、本題
「幸せになる氣はさらさら無い人」
そんなやつおらんやろ〜って
思いますよね
でも実際、いるんですよ
たとえば
ダンナさんと何十年暮らしてきて
その間は、お友達にダンナさんの文句しか言ったことなくて
いざ、そのダンナさんが亡くなると
「良いことしか思い出せない」と、いなくなったことを悲しむ。
毎日悲しんで暮らす。
いや、悲しむこと自体はべつにいいかもしれない。
人間って、当然悪いところばっかりじゃないから
あんなこともあったなぁ、こういうことをしてもらったなぁ、と懐かしむことはあると思う。
それはいいでしょう。
がしかし
この人、いつになったら
「わたしは幸せ」と感じるんでしょうね
たぶん、一生無いです。
なぜなら、この人は幸せになる氣はさらさら無いからです。
だけど、それもまたその人が選んだ人生であり、やりたいことなんです。
人間の感情はいろいろあり、うれしい楽しいだけじゃなく、悲しいさみしいもまた大切な感情。
どんな感情を味わいたいかは、人それぞれ。
当然、その時によっても違います。
「わたしは幸せになりたい」
なぜなら
「わたしは"今"不幸だから」
って思いながら生きるのもまた人生で、自由な選択のひとつです
それはその人の人生。
だから、そっとしときましょ。笑
そもそも
幸せが良くて、不幸が悪い、って、どうしてなんでしょうね
どこからどこまでが幸せで、どこからどこまでが不幸なんだろう
その基準は一体誰が決めてるんだろうか
そんな基準知らんけど
どう生きようが、それぞれ個人の自由です
それでも
「自分の人生を変えたいんや」
「幸せって何なのか感じてみたい」
ってかたは、ホヌアに来てみるといいよ
いつでもお待ちしております
それでは、ステキな月曜日をお過ごしください
よーこりんでした
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