なんでこんなに身体が重いのでしょう、恥骨は痛いし、骨盤ベルトは必須、ベルトしないと二足歩行時は伝い歩き。そして知ったのは四つん這いで歩くのってすごく楽。やはり人類は二足歩行を決めた時に腰痛、難産など多大なリスクも同時に負ったと痛感。


12/29の晩に7年前に亡くなった伯父が、たくさんのプレゼントを持ってきてくれる夢を見た。7年分なのかなと思う大量のプレゼントだった。

子供がいなくて、わたしを目に入れても痛くないくらい可愛がってくれて、色んなところに連れていってくれた。

帝国ホテルのランチ、横浜中華街、鎌倉、日本橋三越の初売り、歌舞伎、大使館巡り、第九のコンサート、六本木ヒルズ、ゆりかもめ開通、ベイブリッジ開通など。新しい施設ができると行きたくなる人でした。

旅行では筑波万博、宮沢賢治記念館、野口英世の生家、仙台の七夕、京都奈良大阪、会津鶴ヶ城などなど。


我が家は家族旅行はしなかったので、伯父との旅行が子供の頃の旅行の記憶。


健康に気を使い、全くの病気知らずだったのに7年前に風邪を契機に肺炎になり、初めての入院が死亡退院になってしまった。

まるでコロナの予行演習のような、あっという間のお別れ。でも本人は全く死ぬと思ってないのが見ていて辛かった。今と違って鼻から高流量酸素を流す医療機器がなく、リザーバーマスクだったから会話ができなかったけど、どうしても話したいとジェスチャーをして、主治医がマスクを一瞬だけ外した時の『せんせい!』という力強い声をまだ覚えている。

色々と自分の病状について知りたかったのだろうと思うけれど、あまりにも早い呼吸状態の悪化で、先生も周りも追いついていけなかった。まさにコロナのようだった。


そんな伯父の勤め先は東○で原発事故の主犯。

福島出身の義母にとっては恨みたくなる気持ちもあるかもしれない(場所は離れているので、避難とか賠償とかはない)。

でも、正月の食事会の時にひょんなことから部活の先輩が東大から東○に就職した話になったとき義母が一言『東○って一流企業なの?』と明らかに違うよね、という皮肉めいた口調で隣に座っていた夫に。夫は沈黙。

伯父が亡くなるまでは交流があり、伯父の立場も知らないはずがないので(原発より前の時代に企業の代表としてメディアに出ていたこともある)、義母がなぜそんな発言をしたのか腑に落ちないところがあるが、まあその場はあまり気にしないようにして帰宅した。モヤモヤはずっとあったけれど。


食事会をした次の土曜日(先週)は午後から月2回の私の仕事日で、夫は子供二人を連れて実家に帰るのが恒例。私としては、嫁が働きに行ってる間に息子が孫を連れて家に帰ってくるなんて、余計な嫁はいないし嫁は遊んでるわけではなく生活の足しを稼いでくるわけで、むしろ感謝されてもおかしくないんじゃないかと思うけど、手土産はなるべく持たせるようにしている。


でも先週は私が働きに行ってる間、私たちが購入希望の新築マンションのモデルルームを5人で見に行ってた。しかもそのことを夫からも義理両親からも聞かされず、子供から聞いたという。『今日、おじいちゃんたちとモデルルーム行ったよー』by 娘

夫からは公園で遊ぶ写メは送られてきましたが、モデルルームを一緒に見にいく話は聞いてませんでした。

理解に苦しみますが、おそらく悪気はなかったと思いたいのですが、そこのところ嫁に気遣いはできないのですかと言いたい。なぜ、わざわざ、嫁が不在時に日程を合わせて見に来た?


私と夫のダブルローンで購入予定であり、義理実家からは援助はできないと以前言われている中、金を出さずに口を出すとはこのことか。。。

本当に、口だけはいらんことだけ沢山出してくるな。。

しばらく引きずりそう。