本題に入る前に少し...

 

最近、自分自身を形容する言葉は何だろうかと考えることが多い。

 

 

クズ旦那 ← これは間違いない

 

シタ夫  ← これも間違いない

 

長男系旦那 ← 周りの人に言われて納得

 

ノンデリ旦那 ← 自覚なかったけど妻からしたらそうなのかな

 

B型男子 ← 何の否定もしません、受け入れてます

 

 

別にだから何ってこともないんだけれど

自分を客観的に見ないといけないなぁ...と思っているので。

 

 

 

 

 

さて、今日のブログのタイトルである「依存と執着」。

妻との話し合いの際に、自分が向けている感情は愛情ではなくそれじゃないかと言われた言葉である。

 

 

ここのところ、自分の気持ちや考えを周りの人に相談することが多くなった。

思えば、昔から人間関係を構築していくのが煩わしく、周囲に何でも話せる友人などは少なかった。

 

もちろん学生時代は友人がいたし、それなりに楽しく過ごしてはいたが

社会に出てしまえば自分から積極的にかかわろうとしなければあっという間に希薄になっていくものである。

 

そうなると、元来の面倒くさがりだったりとか、飽き性な性格なんかも災いして

あっという間に「友達」から、SNSでかろうじて繋がっているくらいの関係になってしまった。

 

 

ここ2-3年で、子供の習い事を通じてコミュニティの輪が広がり、何でも話せるような知人もできた。

大人になってからそういた関係が築けるというのは、ありがたいことである。

 

逆に妻は、昔から人間関係を大切にしてきたタイプだし、知人や友人もたくさんいる。

でもそれは勝手にそうなったわけではなくて、妻が努力して築き上げてきたものである。

 

心のどこかで、ずっと羨ましく思っていたんだろう。

そしてそういう努力をしてこなかった、結果としてそれを手に入れられなかった自分が情けなくて

心のどこかで、妬ましく思っていた部分もあるんだろう。

 

 

でもそんなこと面と向かて言うのはカッコ悪いから、そんな風に思うことがあっても何も言わない。

でも面白く思っていないことがあると顔や態度には出る(らしい)。

 

一応言っておくが、妻に手を上げたことは一度もない。

多分怒鳴ったりしたこともほとんどないんじゃないだろうか...。

 

なんていうか、ずっと「反抗期の息子」みたいな感じだったんじゃないかなと思う。

 

 

妻からしたらいい迷惑だろう。

 

夫婦なんてしょせん他人なんだから、実の子の反抗期ならまだしも、可愛げのない旦那の反抗期なんて

馬鹿言ってんじゃないって感じなんだろうな。

 

 

もっと自信をもって妻と向き合いたい。

 

そんな風に思うんだけれど、どうしてもそう振舞えない。

 

 

んー...

 

そりゃ愛想もつかされるか。