最近読書を再開しました


先日「銀河鉄道の夜」を読み終わり、今読んでいるのは安部公房の「砂の女」


高校生の時に国語の教科書に載っていた「棒になった男」を読んで安部公房を知ってから、是非読みたいと思っていました。



作中では砂は流動する鉱物であると説明され、それと同時にある人にとっては現実逃避や自由の象徴でありながら別の人にとっては世の中そのものであり日常であり生業の象徴として表現されています


同じ「砂」であっても向き合い方や捉え方は人それぞれであり、そこにはその人の内面が映し出されます。



翻って、ローイングは水という流体に向き合うスポーツといえます


各部員がどんな思いで「水」に向き合っているか、小説ならば知ることもできそうですが、現実には他人の気持ちは推し量るのみ。



安部公房は「砂は水とはちがうのだ」と書いています


「……水は泳ぐことができるが、砂は人間を閉じこめ、圧し殺す……」


水と向き合う我々は、ひと所にとどまらず泳いで往くこともできるでしょう。



「水の流れも澱めば腐る」と誰かが言っていました

砂も水も人間も、流れてゆくのが本質なのかもしれません。



私が「水」と向き合う時間も残りわずか

悔いも喜びもないまぜになった「水」と向き合う物語の結末はどうなるでしょうか。