なぜ漕ぐのか


入眠に失敗して全く眠くないので、眠くなるまでこのテーマを考えてみます



なぜ僕は毎月安くない部費を払って毎日のように大変な思いをしているのか


レースやTTに限らず、あっつい夏の練習でうだってる時やさっぶい冬の練習でバックスプラッシュ浴びまくりのびしょ濡れで震えてる時、えづく程の辛い練習をしてる時やなぜか良いタイムが出ない時、そんな毎日の練習のふとした瞬間に、この問いが脳裏をよぎります



エイト以下クルーボートの一糸乱れぬ幾何学的な美しさや全員で艇を支えてバウボール側の水を切り開き力強く艇を進める豪快さ、シングルのエネルギー損失を最小にしながら自分の最大出力を効率的に艇速に変換する個人技術の探求

そんな、競技への憧れや熟練の楽しさだけでは、この問いに対して自分を納得させることができなかった日がありました


そんな日は決まってタイムがひどく下がり、しょげながら帰ってました


2回生の春を振り返ると、ほぼ毎日のように自分に問いかけていたように思います



少し脱線しますが、春には何か人を狂わせる魔物が潜んでいる気がします。星と動物と石と人間を愛した彼は、それを修羅と言ったのかもしれません。



話を戻しますと、2年の秋季終わりから最近まではこの問いを自問することが全くありませんでした


同乗した先輩の賞状を奪ってしまった不甲斐なさから、先輩の足を引かない事、後輩を表彰台に連れて行く事が答えになっていたからです


迷いがなくなったからか、タイムは安定していたし部活へのモチベーションも保たれていたと思います


ところが最近は、タイムもモチベーションも下降気味と自覚しています


それは問いへの最終的な答えを得たのではなく、転がり続ける問いに対して差し込んだものがその時の自分にとっての答えだったものの、再び転がり始めることを遅らせているに過ぎない一時的な答えだったからだと思います



とっくに転がり始めていたと気づいた今、もう一度向き合う覚悟と勇気を持たなきゃいけません



問いに潰されて壊されて後に自分が再構築されたところに、次の答えがあれば良いのですが