失礼します。写真長押ししたらコピーできてなんならメモアプリにペタッと貼り付けられるってこと今日知って感動しました!2回生の山越です。

これ書こうかなあれ書こうかなと考えてたらなかなか書けず...。月初に毎回「◯月分のブログです、お願いします。」とか言ってるくせに毎月書けてるわけではないのでそろそろ肩身が狭くなってきたので絶対書くぞ!と強い意志をもち打ち出しました。申し訳ありませんでした。数人に見られると思うとちゃんとしたことを書かなくては..となりがちですがそんなん気にせずいこうと思います。よければお付き合いください。


 まず初めに最初に書いた写真コピーできちゃって貼り付けられちゃうぞって内容から。皆さんは知ってましたか?なかなかすごいですよね!人が写ってたら人だけ切り出してくれるんです。なんなら長押しすると画面にふわふわぁっと白い広がりができてく感じが近未来感といいますかこだわりといいますか..作った人のわくわくする仕掛け作ってやるぜ!と思ってた気持ちがなんとなく感じられる仕掛けです。


 基本的に機械が苦手な私はスマホもパソコンも使いこなせず、知らないこともたくさんあります。よく人から「え、しらんの?!」と言われることも度々..。そんな私が唯一ドヤ顔でスマホなどの機能を話せるのは母です。母も同じく機械が苦手なので、この前スクリーンショットのやり方を教えたらびっくりしてて得意気な気持ちになりました。さすが若いわねーと。まぁ皆知ってるんですが。でも良いんです、自己肯定感の上がる瞬間を感じさせてくれる母には感謝しています。血は争えないですね。


 あ、忘れてましたが題名にある「あたりまえの言葉に救われる」に関して。これはバイト先の塾で中学生と一緒にやってた現代文の過去問にあった一文がなんだか頭に残ってたので書かせてくださいという意味を込めました。以下がその一文です。


『危機から救ってくれる言葉は、耳ざわりのいい言葉ではありません。「おはよう」とか「さようなら」とか「またね」とか「おやすみ」とか、凡庸な言葉です。凡庸な言葉とは、いつも聞いている言葉のことです。』


 うーん、確かに。一人暮らしをしていると休みの日は特に話す相手も呼びかける相手もいないのでおはようとかおやすみとか言わないことが多いですが、お家にこもってたらなんだか寂しい気持ちになりますし、ご飯を作ったりしても自分で作ったからかいただきますという当たり前の言葉を言わなくなったなぁと思いました。友達や家族、一緒に過ごすひとがいるからこそ挨拶や気遣い、感謝の言葉は存在する。そしてそれを言った方も言われた方も相互に何だか幸せな気持ちになれて、辛い時はその当たり前が自分を救ってくれてたのかもしれません。


 大学生は人生のなかでもかなり上位に入るほど自分の時間を持っていて、それをどう活用するかは自分次第ですよ〜というシステムな気が私はしています。その時間の大部分を私は部活に入って使おうと自分の意思で決めたわけですが、この当たり前の言葉たちに囲まれている今の状況にしっかりと感謝しなくてはならないなと改めて気付かされました。


 最後に最近あった嬉しいことを共有させてください。それは目分量でごはんが美味しくできたことです。今までレシピとかみて忠実に小さじやらメモリやらと真剣に向き合ってたのですが、(これからもきっとそう)なんか料理ができる人風に料理をしてみたいなと思いなんとなくでやってみたら珍しく美味しくできました。何事も挑戦ですね。目指せ⭐︎いつでも目分量でおいしいごはん🍚で頑張って自炊したいです。お付き合いありがとうございました、以上です。