失礼します、2回生の野田です。

 

最近、長い距離のエルゴ中とかに、僕はなんで今こんなしんどいことをやっているんだろう。だとか、あと○分くらいも漕がなあかんのか。という風に思うようになってきてしまいました。体力的にしんどい、限界だというわけではないのに、体より先に精神が参ってしまう。そんなことがしばしばあります。

 

そんな時に、自分はなんでボート部に入ったんだろう。というようなネガティブな思考に陥ってしまいます。自分の選択は正しかったのだろうかと。最近だけではなく、これまでに何度かそういうような負の考えをしてしまう時がありました。なんで○○なんだろう。もう嫌だ。

 

僕の大学以前の友人たちが楽しそうに遊んでいたり、夜遊びをしていたり。部活動などをやっていない分拘束時間が短いので、彼らは、自分がその時にしたいことをしたい場所ですることができる。そういう自分と友人との違いを目の当たりにしているからそう思うのかもしれません。

 

ですが、そういう思いとは別に違う考えが浮かんでくるようになりました。タイトルにもありますが、それは「他人と自分は違う」ということ。どういうことかというと、その当時自分が一番いいと思った選択肢をとり、その選択肢を選んだその先に待っていた結果が自分にとって都合がよかったか、よくなかったかの違いがあるだけで、各々やっていることは同じだということです。

 

別に誰かに強制されたわけではなく、その道を選んだのは間違いなく過去の自分なのに、自分に都合が悪くなったとたん、自分と他人を比較して、羨ましがって、挙句の果てにはその道から逃げようとする。

 

自分だけならまだしも、他の人たちをたくさん巻き込んで自分の道から逃げようとするのは僕は嫌だというふうに思うようになってきました。

新たな道に切り換えるのではなく、自分が決めた道から逃げる。それは自分の責任を他人に押し付けているようにも感じられるようになってきました。

 

過去の自分が、その時その時でベストな選択をしているのなら、結果がどうであれその選択に責任を持てるようになりたい。僕はこれまでに、つらい時には必ず、自分の中に弱音や文句を吐くもう一人の自分がいろいろささやいてきました。それを鵜吞みにし、いっときの感情に支配されて自分の選択を委ねた結果、そのほとんどは自分にとってよくないものとなりました。将来、あの時の選択が正しかった、もしくは間違っていたと思うかは今の自分にはわかりません。

 

だけど、過去の自分はその選択肢が正しいと思って選んだいるわけなので、自分自身を信じて、将来、あの時の選択は正しかったといえるような行動をとっていきたいなと思います。感情的になると、冷静に物事をとらえて、未来を見据えるということがどうしてもしにくくなってきます。そういう時でも、自分に責任を持てる選択ができる、ぶれない軸をもった人間にボートを通じて少しでも近づけたらいいなと感じました。

 

以上です、失礼します。 

2回生 野田