先日、こんな夢を見ました。

友人A 「てか、お前ボート部入ったんだって?」

友人B 「いや、大学まで行って部活とかww  サークルとか入ってゆるーい感じの生活すればよくね?」

友人C 「てか、時代は競争じゃなくて協調だし、大会で勝ってなんになるの?」

  

  僕→ なぜかひたすら号泣している

 

 いいか!!!夢の中の友人A、B、C お前らにはニーチェ先生の超人思想ブリザードでクリティカルアタックをくらわしてやる!!

 

 ニーチェ曰く 「金や権力を得たからって、幸せになれるとは限らないじゃないか・・・・・・。むしろ面倒になるからいらないよ・・・・・。学歴があるからって善い人とは限らないよね。一流企業に入ったてこのご時世だもの、倒産するかもしれないよ。どれだけ頑張っても金と権力を得ることのできなかった人たちは惨めな敗北者としての人生を受け入れることができず、このようなことを言う。イソップ童話でいうところの取れないブドウを酸っぱいと言ったキツネと同じである。そのキツネは本当はブドウが欲しくてたまらなかった。実際にブドウが食べられるとしたら間違いなく食べた。しかし、ブドウは食べられない高さにあったため、彼は自分の都合で、ブドウの価値を貶める。このキツネが、まっすぐに生きていないことは明らかである。そして、そのうち、同じようなキツネが集まってきて、「ブドウを欲しがらないことは善いことだ!!」という教義や道徳を打ち立て始める。彼らは、ずっと心の中で取れないブドウへの恨み(ルサンチマン)を抱きながら、ブドウを欲しがらない無欲な自分を誇りに思うのだ。そして、もしそこに、頑張って飛び上がり、うまいことブドウを手に入れたキツネを見たら、彼らは「なんて意地汚い」と見下し、「別にブドウだけが人生じゃないのに、あんなに必死になっちゃてさ(笑)」という歪んだ価値観を持ち出して内面的に勝利することで、恨みを晴らし自分を慰めるのである。だが、ニーチェはこういった歪んだ人生をただの欺瞞にすぎないと断言する。本当は彼らだって、ブドウを得るために必死になって飛び上がっても良かったのだ。自分の限界を超えて闘ってもよかったのだ。だが、それをしない。失敗が怖いからだ。自信がないからだ。飛び上がっても取れないところを他者にみられるのが恥ずかしいからだ。だから、無欲は素晴らしいという価値観にすがりつく。しかし、そんなものは決して自然本来の生ではない。人生には成し遂げるべきことがある。戦っても勝ち取るべきものがある。もし、勝ち取るために高い障害があるとしたら、それを乗り越える力を得るために努力すればいい。敵がいるのならば、敵を打ち倒し、己の意を貫く強さを手に入れればいい。ニーチェは人間本来の根源的なまっすぐな欲望とは力の意思であると考えた。形はどうであれ、人間は力を求める。より高く、より強く、より速く・・・・。そして、力への意思の赴くまま、強くなることを目指す者を【超人】と呼んだ。超人は本当は強くなりたいのに、「強さなんて求めたって意味ないよね。」と自分をごまかしたりしない。あらゆる手段を尽くして強くなろうとする。」   出典【河出文庫  史上最強の哲学入門  飲茶著】    いいか!!! 友人A,B,C  これが俺の答えだ!!! もう二度と僕の夢にでてくるな!!!