先日のインカレを以て部活を引退しました、4回生の向山です。


まず最初に感謝を伝えたいと思います。この部活に入部してから色々な機会を与えて頂いたおかげで、今の僕がいます。
陰で支えて頂いたOB・OGの方々、身近で支えて頂いたコーチや監督の皆様、入部時在籍していた先輩の方々、同回生のみんな、後輩のみんな、本当にありがとうございました。


皆様のおかげで、この4年間、様々な経験をさせて頂きました。

以前もやったと思いますが、改めて振り返りたいと思います。
普段から長かった僕のブログですが、いつにも増して長いです。最後なので許してください。
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入学当初。
団体には所属したほうがいいと聞いていたので2.3ほど部活を見て回り、艇庫で駄弁ったときの雰囲気の良さに惹かれ入りました。
他に良さげなとこが見つからず入部期限が迫っていた焦りもあっての決断でしたが、結果入って良かったと思っています。

入部直後。
とりあえず、よしき・きほう含むストリート組?のノリと、こで・かずまの無言松山東組が怖かったのは覚えています笑
他の人も曲者揃いで仲良くなれるのか不安でした笑

一回生練。
一番楽しかった。「「やるしかないっしょーー!!」」でメニューのセット数を増やす流れはみんなヒィヒィ言いながらも楽しんでいて好きでした。こういう雰囲気は後輩たちにも大切にしていってほしいな。みんなで楽しく鍛えてほしい。

加古川レガッタ。
酷かった。闇鍋みたいな、我が強いやつらをとりあえず集めて作られたカオスなエイトのコックスをしました。知識と技術が足りない分結構頑張った記憶があります。なのにモーション組んでるときに邪魔されたり、55kgまで増量したら遠征先の風呂でデブと笑われたり、試合は船が壊れたり漕ぎが下手だったりで8人乗りを実質4人で漕いでたり、試合負けた大学同士で並べて2000mやろうとしたら下痢ウンコマンの腹痛のせいで結局並べずに陸にあげたり…いやー酷かった笑
けどなんだかんだ楽しかった、いい思い出です笑

冬季練。
一番しんどかった。起きてすぐ作業するのも前日石山インするのも全部。朝弱い上に授業や資格の勉強との兼ね合いですごく忙しく、辛い日々でした。メニューがUTで単調に感じたり滋賀の冬が寒過ぎたりしたのも要因だったと思います。慣れないことが多くストレス溜まるしやることがぱっと見地味だから、ここを乗り越えられるかどうかが大切です。下回生もしんどいときはみんなで!乗り越えてほしい。

戸田遠征。
今はそうでもないけど、当時は戸田の人たちの方が遥かに上手くて速い、こんなのと戦えるのか?と漠然と感じたのを覚えています。それにしてもよくあの時の僕を遠征に行かせる判断をしたなと思います笑
辞めたがってたのもあって練習の雰囲気悪くしたり、結構迷惑かけてしまっていたので。(あのときは心に余裕がなくてすみませんでした。)
あと野村さんに艇上で声の雰囲気変わるの良いと褒められたことを覚えてます。やっぱり嬉しかったんですかね笑

朝日レガッタ。
悔しかった。スタッフとして関わるはずがチャンスを頂き、セカンドフォアに乗りました。なおき以外2こ上の先輩たち3人。就活しながらやってましたね。僕には無理です笑
当時の自分なりに考えて取り組んではいたものの、意図含むモーション設定や漕技の知識やクライなど、時間のない先輩に代わってもっとやれたのではとも感じます。あの質と練習量で対校フォアに迫る勢いだったし、試合で他大学とシーソーゲームで競り負けたのでなおさら。先輩たちの最後の朝日でした。

ナックル新人。
ミニオン服の女子4人とのお祭り試合。
みんな漕ぎが上手くて、2位取れて銀メダル貰ったので一応笑
短いけど楽しかったよ。

オッ盾候補組7分切り練習。
すげえ懐かしい。来る日も来る日もひたすらエルゴをさせてました。エルゴに飽きて能登川のプールで練習したときもありましたね笑、一緒に泳いだけどちゃんときつかった笑

全日新。
一番後悔してる。勝てると思っていたのに敗復負けという結果だったのもあるけど、この負けがただの実力不足ではなかったこと。このことが一番申し訳ない。シートレースの時点でかなり良い進みを感じ、これから先練習すれば絶対勝てると感じていた。しかし実際は、試合までの練習期間でさらに上手に、速くなるよう導くことができなかった。船を動かす主役のローヤーでもないくせにおこがましいとも思いますが、自分がもっと上手くアドバイスができて、モーションが組めて、クライで雰囲気を作れたらと思わずにはいられませんでした。帰りの夜行バスで、やりきれない、やり場のない、空の吐き気にも似た気持ちになったのを覚えています。

西日本選手権。
楽しかった。当時漕技がまだ上手じゃなかった現三回生とうちの回生の混合エイト。どう考えても、技術もタイムも試合までに間に合うと思えないエイトでしたが、試合は熱かった。スタートで出遅れたところから粘り、中盤のスパートで2.3艇追い抜いたとき、あのレースは、ただただ純粋にボートを楽しんでいました。最高でした。

関西選手権。
最初で最後の、女子フォアで試合に臨む経験です。自分の能力を買って頂き、コックスに選んでもらった以上、これまでの経験で得たもの全部使って勝たせよう。そう思いながら取り組みました。その思いが伝わったのか、選手も応えてくれて、日々成長する良いチームだったと思います。コックスが男だから規定違反だとかなんだかんだあったらしく、試合に出れないと伝えられ、泣いて訴えてくれたローヤー4人を今でも覚えています。僕はこのフォアを勝たせるつもりでしたから、自分が乗って試合に出れないなら出れるコックスに変わろう、試合結果のほとんどは試合が始まるまでの練習で決まるので、そこに関われたからあとは結果を出せる選択をしてほしい。そう思っていました。
しかし一緒に出たいと全員が言い、監督も協力して下さり、オープンというメダルのもらえない立ち位置での出場となりました。
結果は想定を大きく超える好成績で、メダルこそ貰えなかったものの、良いレースを経験させて頂きました。
女子フォアが結果を出せたことはもちろん、いつも働きの成果が見えない役職なので、こうして自分を信頼し、代わりのいない人材として評価してもらえた事がとても嬉しかったです。

2こ下の一回生練。
途中からだけど、2つ下の回生の一回生練にスタッフとして参加しました。コックスとして乗ったり、ときにはバウで漕いだりしました。知識や経験の浅い下回生指導は初めてで、結構言い方とか考えて教えていたように思います。いい経験になりました。彼らにとってもいい思い出であればいいなと思います。

少し早い冬季練、それと加古川観戦。
試合に出ない組で一足先に冬季練をしていた時期です。小寺との練習をよく覚えてます。横から動画を撮って2人で漕ぎの改善をして、エルゴタイムを伸ばそうと試行錯誤していました。感覚を掴んだのか、少しずつタイムが伸びて笑顔が増えるこでを見て、自分まで嬉しくなったのを覚えています。
そして、スタッフとしてついていた2こ下回生の加古川レガッタに観戦しに行きました。
…のはずが、車を運転して洗濯物を洗いにコインランドリーまで行ったり、選手を銭湯まで運んだりと以外と働きました笑
晩ご飯を食べんまま何往復も運転して、みんなが寝静まった後、冷蔵庫から出したての冷えた合宿飯を1人食べていたのを覚えています。
結構大変だったよ笑
みんなもスタッフには感謝を伝えようね。

コロナ禍の自宅練。
とりあえずたかひろお疲れ様でした。クルー別の4.5人の練習はともかく、全体練習はみんな音を消して参加するからずっと1人で指示して、聞こえてるかリアクションもわかりづらい中やってて大変そうでした。ほんとお疲れ様。みんなもボートに乗れんし、体力・筋力は落ちるし、ゆるい練習に慣れて再開が憂鬱になっただろうに、よく耐えて西日本に切り替えてくれました。あのときはみんなが頑張ってた。ありがとう。

自粛開け初試合、西日本選手権。
男子フォアで出場。クルー結成当初は息も合わずグダグダ、ただがむしゃらに船を進めていたのを懐かしく思います。正直乗り心地は最悪だった笑
唯一2回生のゆうたろうにサイドを変えさせて組んだクルー。ゆうたろうが頑張らなければ成立しなかった配置で、そのおかげで他の人の漕ぎの改善もしやすかった。一番大変なところを耐えてくれてありがとう。
結果は決して良いとは言えないものだったけど、おかげでインカレへの足掛かりが作れた試合でした。

最後のインカレ。
最初に、クルーのみんな、そしてサポートしてくれたスタッフ、監督やコーチの方々、ありがとうございました。
正直、ここまで良い試合ができると思ってませんでした。
2大会通した期間の中で僕が一番したかったことは、結果を出すことだけではありません。このクルーに参加した下回生ローヤー3人が、自分の意見を言うことができ、乗艇の雰囲気を作れるような声出し(とまではいかなくてもクライに対する返事)ができ、ミーティングなどの話を回し、最後に意見をまとめる司会ができるようになることです。
練習の意図の理解やイメージの共有なしには成り立たないこのチームスポーツで、僕と小寺がいるときはできてもいなくなったらできないこと、これをなくしたかったからです。
そして実際、練習中・後どちらも自分なりの意見を声に出したり、クルーの雰囲気を作ろうと自分から行動してくれたり、確実に良い方向へ成長できたと思います。
試合に関しても、インカレの予選でスタートダッシュから圧倒的1位に抜き出た、敗復で予選の差を大きく縮めるような漕ぎができた2つのレースを特等席で感じ、あのグダグダクルーがよくここまで来れたと感動しました。
何より、「2人を準決勝へ連れて行きたかった」と試合後のミーティングで行ってくれたことが嬉しかったです。
戸田遠征のところで述べたとおり、以前の僕らにとって戸田のクルーはあまりにも高い、高い存在で、どうやって勝つんだと思えるほどの差を僕は感じていました。
それが今大会、このフォアのメンバーは、差なんてすぐ詰められる、練習次第で勝てるのだという可能性を大きく示してくれました。
その可能性の表れがこの一言だと思います。もう敗復最下位で消える大学ではない。準決勝だって決勝だって、食らいついて全国と戦える。僕が感じたのは、そんな大学へと成長する始まりの試合を経験させて頂いたような、そんな感覚です。
絶対にまだ上へ行けます。もっと大きなはずの自分たちを探して、もっと先へ、部全体を導いてほしいと思います。
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最後に、フォアのメンバーにもミーティングで話した、自分の考えをここに書き残して、締めたいと思います。

僕は過去は変えられると思っています。
もちろんやったことは変えられないけど、その価値は後の行動次第で大きく変わる、そう思ってます。
他の人に迷惑をかけた、練習で成長している気がしない、試合に負けた、他にも色々あると思いますが、これらの悩みを抱え、もがき苦しむ経験は誰にでも訪れると思います。
一番不幸なことは、これらをなかったことにして忘れることです。
この経験をきっかけに自分の行動を見直したり、先輩を頼り自分にできることを探したり、同じ悩みを持つ人の相談に乗ったり、どんな経験でも活かせる道は必ずあります。
これまでの苦い経験を全て、自分にとって必要だった過去に変えてください。そうすれば、その負けや痛みは必ず意味を持ちます。

今の現役部員たちが、自分の過去を、今後の自分や他の人の未来へと繋がる、価値のあるものにしていってほしいと思います。

それと同時に、僕ら4回生と過ごした日々や、言葉や、思いが、みんなにとって意味のある、誇れる過去であってほしいなと思います。

今までお世話になりました。
ありがとうございました。