真夏の新歓レガッタがあった日の夜、疲れて頭が回らず、Wi-Fi機器の営業の人と契約しかけました。(普通にレオパレスの人がWi-Fi取り替えにきただけかと思って話聞いてました。)4回生の向山です。

あと数ヶ月で引退らしいですね。
といっても結構色々あった大学生活だったので、短かった、という思いより、やっとか、という思いの方が強いです。

なんだかんだここまで部活を続けてこられたのは、部内に、必死に頑張ってる人が大勢いたからだと思っています。


…少し語りますが、僕は中高の運動部経験をあまり良い形で終えたことがありませんでした。

島の中学のバスケ部は、3年生になるまでゆるゆるな部活動でした。肩パンルーレットとかいういかれた遊びを先輩にやらされたのもその頃です。(詳細が知りたければ直接聞いてください。)
ところが3年生になったとき、指導したバスケ部を地区優勝に導くレベルの監督の人が、学校に先生として来られました。
当然、練習メニューは改良されました。放課後体育館内で練習できる日には、中のアップ(ちゃんときつい)をする前にまず外でグラウンド10周するようなきついメニューです。
5人の同学年部員もひいひい言ってました。

そして一人、また一人と…

人が消えて行きました。

まず監督が来て少し経った頃、3人消えました。
それから少しして部長が怪我をし、引退時期まで先生の横で練習を見てました。(後半絶対怪我治ってた💢)
最後の一人は、引退試合の一月前くらいに怪我をし、引退時期まで先生の横で練習を見てました。(こっちは多分ガチで治らんかった)
特に上手いわけでもない僕は一人残され、時には一つ下の上手い奴に「やる気あるんか」と怒られながら、なんとか引退までやり切りました。

そして半年後、本土の高校に入ります。
他の部活見学をする度胸もなかった僕は、性懲りもなくまたバスケ部に入部します。
が、本土のバスケ部は、島の田舎もんに優しくはありませんでした。
小学生の頃からガチガチにバスケしてきたミニバス上がりの輩が、同学年に4人いたのです。
その上、練習内容自体は中学ほどキツくないが、レストが馬鹿みたいに短い練習が毎日行われました。(給水したらすぐ集合がかかります。)
本校特有の個人実力主義も練習に影響し、ついていくのが大変でした。
そんな練習でも、唯一同じくらいの実力だったやつと「一緒に頑張ろうな!」とか言い合ってなんとか耐えてました。

ちなみにこいつは2ヶ月で消えました。

実力で劣るので手を抜くわけにもいかず、全力で取り組んだ結果、夏場耐えられず2度吐いて部を辞めました。

中高通して一番辛かったのは、孤独です。
一緒に必死こいて頑張ってくれる人がおらず、少し手を抜けば上手い下回生や格上の同学年からもう少し頑張り続けるよう言われる。
これが耐えられなかった。

なので大学ではゆるい運動部(バスケ以外)とか文化部、その他サークルに入るつもりでした。
ところがまあ、人の雰囲気の良さに惹かれボートの試乗会(楽しかった)に行った後、先輩に飯に連れて行かれ(美味しかった)、絶対に独りにしないからと説得されて(嬉しかった)、決してゆるくないボート部に入りました。

そこには今までの部活動にはほとんどいなかった、全力で頑張る人が何人もいました。
これがなかったら、1年の冬に辞めてたと思います。
新入生のみんなにもそういう良さが伝わって、一人でも多く入って、4回生までみんなで部活を続けていってほしいですね。

現在もコロナの感染が収まらない状況から、そもそも試合がちゃんと開催されない状況もかなり考えられると、僕は思っています。(特に関東の試合。)
仮に試合が無くなった場合、今年で引退する4回生ローヤーの頑張りは無駄になってしまうのかもしれません。
そんな不安がみんなにもあるはずなのに、萎えるでもなく、今も必死に練習してる部員が何人もいます。
試合の有無に関わらず、必死こいて練習し、ボートのことで悩んでる部員がいる限り、僕もできるだけサポートし、一緒に頑張りたいと思います。
独りの辛さは十分わかっているつもりですから。



おまけ。今回は1人だけ紹介。


・悒うつぼ (ゆううつぼ)

てねてね
落魄フード (らくはくフード)
幽栖 (ゆうせい)

漢字が難しいので後ろに読みを書きました。クセになる綺麗なメロディと声、独特な雰囲気の歌詞やMVが特徴。正直紹介してきた中で一番ハマる人が多いと思ってる。


それでは、練習行ってきます。